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~演劇とアイドルと何かと~

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お岩さんは素敵です

*八月花形歌舞伎第三部『通し狂言 東海道四谷怪談』 新橋演舞場 (2010.8.10)


お岩さんは気品も矜持もある武家の出です。
ということがすんなり飲み込める、上品で凛とした中村勘太郎のお岩でした。

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勘太郎の持つ凛々しさが最大級に発揮されるのは伊右衛門浪宅の場、すなわち伊藤喜兵衛宅からもらった薬が相貌を変える毒薬であるとも知らず、お岩が有難がりながら飲む場面。包みに入った粉薬を慎重に扱う仕草、不吉さを背後に宿した伊藤家への感謝の振る舞い、お岩さんという女性の気品と丁寧さがいちいちあらわれていて素晴らしい。そこから髪を梳く件りで頭髪が抜け落ち、目の上がただれ腫れ上がっても、舞台上から強く訴えてくるのは怪奇味ではなく彼女の品と哀しさです。雑音の少ない張りつめた時間が流れて、翻弄されるお岩の悲劇が客席にストレートに突きつけられる。


勘太郎の父中村勘三郎が伊右衛門浪宅の場のお岩を演じる際、客席からは少なからぬ笑いが起きます。
ここで幾度か書いていますが、勘三郎が舞台に居ると観客が盛り上がる準備をしてくれる割合が高まる。これは彼がその足跡によって築いてきた武器であり、同時に拭い難い困難でもあります。勘三郎が舞台に居れば何か「面白い」ことをしてくれるであろうという期待は、過剰に笑いポイントを探そうとしてしまう「笑い待ち」の観客層を増やすことに直結します。
彼が口を開けば、彼が体を動かせば、安心して笑うことができる。そんな了解を生みがちではあるため、お岩が粉薬を無駄にすまいと細かく最後の一粒まで湯に溶かそうとする仕草がコミカルと捉えられて笑いが起こり、時には相貌の変わったお岩が頭をあげてその額を露わにする場面にも笑いが生じたりする。ある種おおらかな、そうした雰囲気を許容するのも歌舞伎だとは思いますが、ドラマと観客の反応と、という関係性で見た場合やはりそれは齟齬であって、子息である勘太郎が演るお岩ではどうなのだろう、と危惧に近いものを持ってはいました。


結果、上述したように素晴らしい気品と哀しさで勤められた勘太郎のお岩には、そうした雑音の余地はありませんでした。稽古は確実に父親がつけているでしょうし、父の影から逃げることは不可能な世界です。けれども父親とはまた明らかに異なった文脈を築いて、四谷怪談を己のものにしようとしている姿を見ていけるのは非常に嬉しい。十八代勘三郎(今の勘三郎ね)の築いた功績とそれに伴う困難とは、十八代目当人こそが格闘すべきものであって、勘太郎がその文脈の余波を過剰に受けるのは好ましくありません。というか、それと異なったベクトルでもっと大きなお岩さんを創造していける可能性が、今月の彼には見えました。


非常に良い時期の花形が顔を合わせているだけあって、市川海老蔵の民谷伊右衛門、中村七之助のお袖とともに勘太郎が佐藤与茂七役で居並ぶ隠亡堀の場は、どの役者に焦点化しても見栄えを楽しめます。とはいえ、個々の見た目はともかく『四谷怪談』のお話として、各場で役者同士がスムースに溶け合っていたかというとその点はまだどうにも固いような。しかし彼らが四谷怪談のキャリアを重ねていくのはまだこれからですし、その未完成具合もまた楽しいわけですが。
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「みんなの夢が叶いますように!」

*TOKYO IDOL FESTIVAL 2010(2日目) 品川ステラボール他 (2010.8.8)

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たとえば、かつてのような意味での「国民的アイドル」を生成しうる環境を現状この国に求めるのは困難ですし、またそうした存在を殊更に是としなければならない意味もそれほどないように思います(だからかつての「国民的」歌ものアイドルと現在の芸能人を比較して現代の何かを批判する、というスタンスはナンセンスかと)。
一方で、「アイドル戦国時代」というフレーズでしばしば表現される近頃の活況は、アイドルたちが広範な層に支持されるような意味での「国民的」たりえないからこそ可能なものであったりもして。

「国民」が平準的に認知・支持できるような対象は、特にテレビのような大規模複製型マスメディアに主導されてこそ生成されやすくなるもの。現在「戦国時代」の只中にいるアイドルの多くが利用しているプロモーションの方法は、そうした既存のスタイルとは幾分異なります。複合施設の広場など各所でミニライブや握手会等のイベントを繰り返し、「現場」に足を運ぶヲタに特化して認知度を高めてゆく彼女たちのやり方は、そもそも一足飛びに「国民的」を志向するような意図を持つものではありません。テレビという大規模マスメディアによる露出主導だった(それが可能だった)プロモーションのスタイルとは性質の違う、ライブ感や現場体験こそが最大の武器となるような売り出し方。そしてその方向性が機能した結果の、「戦国時代」。その今だからこそ、このアイドルの夏フェス(つまり「アイドル現場」のお祭りですよね)TOKYO IDOL FESTIVAL(以下TIF)はよい時期に第一回を迎えたといえそうです。


当初は参加するアイドルの中にハロー!プロジェクト、AKB関連、それからPerfumeらの名前がないことに、いささかの物足りなさを感じていました。メンツ不足ということではなくて、せっかくのアイドルフェスなのだから各方面のアイドルが大同団結してこれ以上ない花火を打ち上げてくれまいか、という希望があったためです。しかしながら結果として今回に関しては、上述のメンバーのいないことがむしろ、このフェスの成功を容易にしていたのではないかと思います。

今回のTIF最大の魅力は、近接した会場でアイドルライブが同時進行で多数行なわれていること、それにこのお祭り会場の中で「そこらへんをアイドルがうろついている」ことです。握手会のようなイベントとも明確に異なるその独特の距離感は、おそらく上述の方々(一堂に会したらどれだけの集客規模が必要なのか予測が難しい)が参加していたら成立しなかったでしょう。参加アイドルの顔ぶれと、決して安くないチケット代(昼夜すべてに参加するためには一日あたり一般で15,000円必要)によってある種、客層の限定が行なわれた結果、会場を埋める観客の人口密度としても無理のないものになり、アイドルと入場客とのこの距離感が実現したといえます。このフェスに次回以降があるならばまた会場や規模も異なってはくるはずですが、今回に限っていえば過ごしやすい理想的な空間であったなと。もちろんそれは、観客のマナーに一定の信頼ができる、という幸せな環境あってこそですが。


もちろん、比較的「世間に知られた」アイドルが参加していないだけのこと、プロのアイドルたちが矢継ぎ早に登場するステージは充分に魅惑的です。各アイドル持ち時間10~20分程度でタイトに展開するショーケース。次のアイドルが登場するまでの転換時間も短く、初開催としてはスムースに進行したのではないでしょうか。
ももいろクローバーは数いる他のアイドルと居並んでもやはり勢いを感じさせるし、3期4期メンバーの馴染んだアイドリング!!!には厚みがある。そして東京女子流があの年齢にして(年齢非公開だけど)有している完成度。成長途上のアイドルたちの、今見ておくべきライブが一箇所に陳列されている稀有な場所。このフェスが創造されたことは間違いなく喜ばしいことです。

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「戦国時代」の活況が永続することはありません。今後同じような環境で何年もフェスを打つのは容易なことではないでしょう。けれども、TIFが続いてくれること自体に大変な意義がある。こうした大きな祭りは、この業界が一定以上の熱量を保つためのひとつのシンボル的存在になるでしょうし。長い時間をかけて育てて、それこそ「メジャー」なアイドルグループを振り向かせるようなものになってくれたら。またアイドル及びアイドルファンのひとつの拠り所になってくれたら、と願います。
後夜祭開演遅延のトラブルなどでクレームも多少はあった模様。開催して初めて見える問題点等があるのは避けられないことですし、そこは批判も改善も必要。けれど、まずはこのフェスが開催されたことの貴重さ、それに来年以降の継続祈念を忘れませんように。

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