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~演劇とアイドルと何かと~

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ドメスティック宗教戦争

*NODA・MAP番外公演『表に出ろいっ!』 東京芸術劇場小ホール1 (2010.9.7)


信仰の衝突が悲劇を生む、のは特段マクロ寄りの話ばかりではなくて、いち家庭内にだってその火種はいくらもあるわけです。
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本作に登場する父、母、娘は、自分の好きなものを妄信するゆえに、他の家族成員の価値観を疎んだり蔑視したりしていがみ合う。とはいっても彼らがハマっているのはテーマパークだったりアイドルだったりするわけで、それらを互いにくだらないだのレベルが低いだのと言い合うという、一見すると他愛のない家族喧嘩の図がそこにあります。
それは家族のバタバタとした言い争いとして描かれるし、地下鉄サリン事件を直接的にモチーフにした野田秀樹の前作『ザ・キャラクター』に比べれば、軽量級の劇とはいえるでしょう。けれども、そのくだらない家族喧嘩のはてに、ほのかに悲劇の予感を垣間見せてくれる劇になっています。それも、ある程度裕福と思しき一家三人が自宅内に居て、ガスや水道が止まっているわけでも金銭を失ったわけでもないのに餓死の危機に追いつめられるという、奇妙な悲劇の予感を。


出産間近の愛犬のために誰かが家に残って面倒を見ていなければならないが、能楽師の父は能楽師協会の人々とともにテーマパークに出かける予定、母は少年アイドルグループを観に東京ドームへ、娘はファストフード店の販促グッズを求める列に並ぶため、外出しようとする。互いが犬の面倒を押しつけようとして、自身の外出目的がいかに重要なものであるか、相手のハマっているものがより軽視していいものであるかを訴えあう。


自分の求めるものの価値を絶対視し、他者の価値観に対しては不寛容になるというどこにでもある図は、家庭内など狭い個人間で生じれば、はじめは些細な点についての口論にすぎません。しかしそれは次第に自身の立場を守るためのアドホックな主張の連続になって自己矛盾にもなっていくし、当事者同士で蓄積していった齟齬は徐々に親しい関係同士の中に内包している深い亀裂を明るみに出す。母が娘を産む際に直面した「伝統芸能」の家柄ゆえの価値観、そこに起因する夫への不信も掘り起こされてゆきます。

また娘が当初、ファストフード店の行列に並ぶと偽っていた外出の本当の目的はそれこそ直に「信仰」に結びついています。互いの価値観への不寛容や、論理が破綻していてもお構いなしに妄信する人間の姿は、この「信仰」に対する親子の衝突で最も痛切に描かれる。当事者としてそこにいたならば苛々して仕方ないであろうすれ違いは、決して観る者にとって遠いものではありません。


全編を通してコミカルに描かれていますし、淡々としたリアリズムではありません(野田秀樹ですしね)。また、その先にありうべき悲壮な展開を予感はさせるものの、悲劇にまで行ききることなく救いを見せている(救いの主が、「物音のしない民家にわざわざ興味を持ってくれる」人物、つまり……という!)。その意味で結末は暗くないのですが、「他人」ではない間柄同士が相容れない論理で解決のない衝突をし続ける中盤の展開こそが、出口のない、どうしようもない、静かな悲劇なのかもしれません。
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「父」を演じた中村勘三郎の、彼らしいコミカルさは劇のテイストに合致していたと思います。彼が歌舞伎以外の劇に出る際、もっと「勘三郎」味を消した方が面白いのではないか、またそれができる人なのではないかと個人的には考えていました。なにをやっても「中村勘三郎」に見える、というのは両刃の剣で、現代劇では時にそれが損に働くのではないかという危惧がありました。
けれど、勘三郎印の笑いは彼の大きな魅力のひとつなのですし、効果的にそれが使えるのであればストレートにそこを強調してよいのだなと。特に彼の出演する舞台は相当数、中村屋贔屓の方が来場するわけですし、何を求められるか、ということも無視はできない。おそらくはその環境に向けて訴求力のある笑いをつくろうとしているのではないかと思われる箇所もあって、そこには幸福なパフォーマンス―オーディエンスの関係がありました。この劇に関してはそのディレクションで正解。とはいえ席数の少ない芸劇の小ホール、中村屋後援会以外にも多くチケットが回ればいいなあとも。中村勘三郎という役者に初めて接するには、こういう芝居もよいのではないかと思うので。
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尊重と対抗と

*アイドルユニットサマーフェスティバル2010(2日目) C.C.レモンホール (2010.8.31)


イベントタイトルはアイドルの夏フェスとして銘打たれていますが、8月上旬に催されたTOKYO IDOL FESTIVAL(以下TIF)の多幸感とは幾分趣が異なります。言ってみれば、観る者がより、そこに相互対抗的なアングル(仕掛け)を読み込みやすい場といえましょうか。

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すなわち、昨年からの勢いでいつしかトップの座を盤石にしているAKB陣営のグループ・SKE48に、ハロー!プロジェクトの新鋭スマイレージと、昨今の「アイドル戦国時代」のひとつの象徴的グループであるももいろクローバーが対峙する(もう一組の出演グループ・bump.yについては後述)という構図。

AKB陣営×ハロプロ×新興グループ群(×アイドリング!!!)という顔合わせはNHK『MJ』ですでに豪華なかたちで実現していますが、今回はそれぞれのうち旬のグループが一組ずつ参加というスタイルゆえ、シンプルに対抗戦として受け取ることが容易ですし、実際、事前からアイドルファンによるそのような読み込みも少なからず行なわれていました。
AKB-ハロプロという新旧(と表現しておきます、一応)メジャー団体の直接的対峙の機会が少ないこともあり(ということはそれぞれのファンが同一現場に居合わせる機会もまた然り)、こうした場が設けられたときに件のアングルを踏まえて捉えるのはある程度自然なことでもあります。


とはいえ、ももクロを含めここに集った三者を見る際、現帝国に対して旧政権と新興勢力が抗してみせるという姿をそのまま投影するのもいささか違う。スマイレージのメジャーデビュー時には、すでに実質的な覇権はAKB陣営にあったわけで、彼女たちはハロプロ(旧)政権のプライムタイムを知る者ではありません。件のアングルに乗っていうならば、はじめから対抗的位置にいるグループではある。メンバーの福田花音がMC中、他グループに度々言及した対抗意識を垣間見せていたように、「あらかじめ挑戦者」としてのスマイレージがそこにいる。

一方、観客の反応がいちばん大きかったSKE48もまた、AKB陣営を背負う、という立場ではありません。AKB本体の勢い、さらに本体にも参加している松井珠理奈、松井玲奈のアイドルとしての知名度や存在感はやはり大きい。とはいっても、SKE48個体としては「全国区」と言い切れる立場ではないし、彼女たち自身にとってもAKB本体は身近な目標であり憧憬の的であるはず。SKE48をもって、AKB48陣営の代表と捉えるのは少し違う(とはいえ、東京で行なわれたイベントゆえAKBのファンも会場には多かったはずで、そのファンに対してアピールする、という福田花音の姿勢は興味深いものでした)。

また、この「戦国時代」のキープレイヤーであるももいろクローバーはMCにおいて、スマイレージやSKEへの憧れを実に素直に表明していました。もちろんステージの上では他グループを食うつもりで臨んでいるでしょうし、彼女たちの勢いは疑うべくもない。他グループへの憧憬を隠さないというやり方は、あえて自分たちをど真ん中から外し、「旬のカウンター」として自身たちの存在感を示すための戦略であるかもしれません。それでも、アイドル同士が互いを尊重し合う、互いの美点を伝え合うという姿は好もしい。これはアイドルファンの側にも、アイドルの「界」全体を楽しむ、という視点を教えてくれるものなのではないかなとも思います。


アイドルファンはしばしば自身の推す特定のグループのみに傾斜し、アイドルが複数結集する場でも登場するグループによって明らかに観覧者としての姿勢が変わったりします。それ自体、ひとつのまっとうな価値観ですし否定されるべきものではないでしょう。
ただ、現在は「戦国時代」の名のもとにこの「界」全体を楽しむ機運が巡ってきている時期であることも確か。アイドルの群雄割拠、それぞれの立ち位置と持ち味、拮抗関係を愛でるには非常に恵まれた時期ではあります。このとき、ステージ側の人間であるアイドル自身(それも旬で勢いのある)が「界」全体を愛でるような楽しみ方を先導する、その姿を自分は支持します。今回のような企画は、アイドルファンの楽しみ方の選択肢を広げるような視点を、アイドルたちが自ら提供してくれる最良の機会のひとつとなるかもしれません。


そしてまた、ここにbump.yという、土俵をおおきく異にするグループが入っていることも面白い。アイドル「界」という表現を使いましたが、ここまでに言及したことがアイドル界の趨勢すべてではもちろんないわけで。俳優、演技をメインフィールドとするbump.yのメンバーたちは、いわゆる「戦国時代」の中心部にいるわけでもなければ、おそらくはそこに全面的にコミットする意思もない。群雄割拠をよそに、自身たちのスタンスとテンポ感でパフォーマンスするのみ。スマイレージ、SKE、ももクロは立場こそ違え、ひとつの流れの中で統一的に語りやすいグループでした。一組だけ位相が違うようなbump.yが加わることで、アイドルを語りたがる側にまた別種の複雑さを提供してくれるかなと。すでに女優としてメジャーになった人が曲をリリースする、というのともまた違いますし。今回の企画の統一性という意味では難しい立場であったでしょうし、どうしても自然、箸休め的に見られがちですが、こうしたグループが差し挟まれることもまた興味深く思いました。


すでに各所で語られているように、ももクロは『MJ』、TIFに続きトップバッターとしての適性を存分に発揮し、そのポジションを確立しています。スマイレージはやはり曲も充実しているし、他グループに「対抗」する姿勢をあからさまに見せつけました。SKEはAKB本体の勢いも追い風にしつつ、若いファン層を圧倒的に味方につけているように感じられます。それらの拮抗を一覧するのはやはり相当に面白い。せっかくの「戦国時代」、お互いの対抗意識と、それぞれの足場への矜持が見え隠れするさまを見たい。けれどその底流には、ももクロが見せたような、互いを尊重し愛でる姿勢があってほしいし、ファンにとってもその姿勢こそがアイドル「界」、アイドルという事象全体を楽しむうえで不可欠だと思うのです。

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