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まず「芝居」であること

*乃木坂46公演「16人のプリンシパル」trois 赤坂ACTシアター (2014年5月30日,31日)

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 いま思えば試行段階にも見える2012年の初演をプロトタイプとして、2013年の乃木坂46公演「16人のプリンシパルdeux」(詳しくはこちら)で確立したのは、演劇オーディションの過程を観客に開示して(それ自体を見世物にして)、そのキャスティング権を観客投票に委ねるというシステムでした。それはファン介入型でありながら人気投票に終わらない、また、演技の素人であるメンバーたちが瞬間的に垣間見せる演技適性の萌芽(らしきもの)に溢れた、特殊な公演形態でした。


 昨年の「deux」ではそのオーディションパートには、「とある劇団のオーディション」という「設定」が与えられ、その中でメンバーと演出家(江本純子)は、“受験者と演出家”という虚構の関係性を半分演じ、そしてまた半分は「乃木坂46」のメンバーがオーディション自体で葛藤する姿を生のドキュメンタリーとして見せるというバランスになっていました。そこでは演出者の江本がオーディションを統率しディレクションしながらも、キャスティング権はオーディション自体には介入できない観客にあるという権限のねじれも生じて、それが「プリンシパル」の構造をいっそう趣深いものにしていました。


 今回、ステージ上の演者たちはよりストレートに「乃木坂46のメンバー」そのものとして存在しています。冒頭や転換の時間にスクリーンにあらわれるキャラクター、「ソニーのコンノ」(佐藤二朗)が、乃木坂46を運営するSONYを当て込んだ“業界”的な身内ノリであることからも明らかなように、昨年のようなかすかな虚構性はそこにはなく、舞台上の人物たちがまごうことなき乃木坂46であることを示している。
 この構造のシンプルさ自体に問題はないし、ひとつの正攻法だと思います。ただし、ひとつ気になることをあげれば、この“業界”的な身内ノリは、ただでさえ内向きな「プリンシパル」の中で、受容層をさらに狭めてしまう気がしました。


 とはいえ、オーディションが単なる人気投票にならないスリリングさは今年もうまく機能しています。
 初日公演でも、その面白さは早くもあらわれました。第2部の演劇内唯一の男役ロザリオ役を、生駒里奈さんと斎藤ちはるさんの二人が競い、斎藤さんが役を獲得しました。グループの人気や知名度、優遇度で考えれば、ファンによる投票で現状、斎藤さんが生駒さんを凌ぐことは困難です。しかし、その場の巡り合わせやその瞬間に発揮できた演技力、対応力が肝になるこのオーディションでは、こうした「逆転」が往々にして起こりうる。そこにある驚きと緊張感は、同様にファンを介入させる他の48系の企画と比しても異彩を放つものです。グループ内の目に見えやすい立ち位置ではないところに宿る投票結果は、独特の説得力がある。

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 他方、昨年確立した「役ごとに立候補してオーディション」という形式を基本的に継承しているだけに、昨年に比べての難点もまた明確になっていました。

 最も難しいのは、昨年が「演技」による選抜だったのに対して、今年の「trois」では「面白さ」を基準に選抜するよう促されることです。同じ役に立候補したメンバー同士の組み合わせでコントを上演し、そのパフォーマンスが選考者の判断材料になるわけですが、そこで判断される「面白さ」が第二部と有機的に繋がりにくくなっていたように思います。

 第2部はコメディに主眼を置いた一時間近くの「演劇」でもあり、そこでは言葉の積み重ねと間による「笑い」の構築が肝要になります。もちろん第1部のオーディションで課されるコントにおいてもそれは変わらないはずなのですが、短時間で自らをアピールする必要に駆られるため、メンバーが選択する「面白さ」の性質が、演劇的なそれとは大きく離れてしまっていました。

 オーディション課題となるコントは稽古で事前に実践したことのあるものだと思われますが、その場で急遽組むメンバー同士で配役も即席に決めるため、間をつくって協調し合うための環境には不向きです。自然、短時間で「己」をアピールするための一発芸的な「面白さ」に流れがちになってしまう。多くのメンバーはその方法として訛りやアクセントの過剰な強調による、「変な喋り方」によるキャラ付けを実践していました。

 それらは瞬間的には笑いに繋がることもありますが、一定の長さのあるコント全体をそのキャラで通せば笑いのメリハリも失われて冗長になってしまい、またコントの設定やセリフのやりとり自体に支障をきたします。笑いや演技のプロではない彼女たちは自然、同質の冗長さを繰り返してしまう。

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 これに関連して、昨年との大きな違いとして、オーディションの進行が録音音声で行われている点があげられます。昨年の「deux」では、第1部のオーディションについても「舞台作品」としての枠内に成立させるために、常に演出家の江本は公演中に声で出演して指示を出し、交通整理をしていました。今回はその役目がいないため、メンバーのみに舞台上の運びが任されてしまう。メンバーのみで一定の長さのコントを最後までやり切ることが平等の条件になっていて、ディレクション役がいないのです。たとえばコント内にサポートとしてプロの役者が一人常に入って舵取りをしていれば、成果は大きく違ったような気がします。


 これは公演期間が開始したばかりの所感ですが、公演を重ねることでオーディションも「コント」という演劇を上演しているのだという意識に変わってくれば、各人の演技スタイルの違いもまた引き出せるようになって、より楽しめるようになるのかなと。第1部が次の段階の面白さを獲得するのは、「変な喋り方」合戦を抜けて以降かもしれません。


 上演期間が進むに連れての変化というのは舞台演劇には必ず生じるものですが、「プリンシパル」は、「半舞台裏、半表舞台」という二面性そのものが舞台に載せられる性質上、日を追って見える変化が「演劇」部分のみではない。演者たちが舞台を創っていく、その過程までも上演されることが、「16人のプリンシパル」という企画が一貫して有している醍醐味でもあります。それは自然、複数回の観劇によってこそより十全に味わえるという内向きのものにもなってしまいますが、そうでなければ具現できないエンターテインメントはたしかにそこに実現していると思います。
(※リピート観劇を促す内向きの企画だからこそ、映像パートが同じものの繰り返しだったり、オーディションの舞台仕切りが録音音声のみというのは、趣旨に対して不親切であるように感じました)


 事前の予想以上に良い仕上がりになったのが第2部の演劇パートでした。第1部のオーディションではコメディ進行上の間延びが気になったのですが、演劇パートは存外にテンポが良く、芝居の感触としては「deux」よりもすっきりしていたと思います。

 「ポリン姫」が父母の囚われた異星で冒険する成長譚を基本軸にしたコメディは、テレビ等で頻出する際物を盛り込みながらも、その際物をやること自体の気恥ずかしさを笑いにしてテンポ良く進めていることもあって、第1部の冗長さとは大きく手応えが違いました。

 大事なのは、第1部のオーディションでメンバーがつくろうとしていた「面白さ」とは、構造が大きく異なるということ。ここで明らかになるのは、「笑い」のためにまず、普通に整った「演技」がされなければならない、ということだったのではないでしょうか。 結果的に第2幕はある程度「演劇」をせざるを得ないためメンバーの演技への意識も数段高くなり、各人の活かしどころが多いように思いましたが、やはりそのぶん第1部との食い合わせの良くなさに思いが至ってしまいます。第2部がコメディというジャンルの「演劇」であるのと同様に、第1部でメンバーたちが上演する「コント」もそれと同じだけ「演劇」として尊重されるべきなのだと思います。

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 しかし、そうした歪さを抱えながらも、やはりこの企画がとても特殊で魅力的なスタイルを持っていることには変わりない。 三年目を迎えた現在でも、「16人のプリンシパル」はまだ、この魅力的な装置の最適なバランスを試行錯誤している初期段階なのでしょう。
 舞台演劇についてはまだ何者でもない彼女たちが、思わぬ適性の萌芽を見せる瞬間に立ち会えることはとても楽しい。オーディションの手順構築や、投票環境等も含めて課題も持ち上がった「trois」ではありますが、積み重ねることで安定したバランスを探り当ててほしいなと思います。
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