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空疎な「全力」

*ラッパ屋『おじクロ』 紀伊国屋ホール (2012.11.15)


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 設定としてはシンプルといえるでしょう。不景気の中、得意先に撤退をつきつけられた下請けの町工場が倒産の危機に追い詰められ、従業員を抱えて先の見えない模索を余儀なくされる。そこからいかにして立ち直ることができるのか、を中高年世代の悲哀を混じえつつ描くというのが基本線です。言ってしまえば話はそれだけでもあり、立ち直りの過程が具体的に描かれてゆくタイプの話でもないため、1時間45分の芝居の推進力は、ストーリー以外のところに委ねられます。

 この芝居でいえばそれは、市井の人々の他愛ないやりとりのおかしみということになるのでしょう。決して景気の良くない町工場の従業員や家族の、厳しい台所事情のうちにも、ちょっと間の抜けた会話やヤマ場のあるわけではない掛け合いの愛らしさで話を展開させてゆきます。
 もっとも、そうしたやりとりの見せ方は、それほど巧みというわけではありません。掛け合いのタイミングや、声のオーバーさの度合いに若干のこなれなさと手際の良い感じとが混じってあらわれ、結果としてやや冗長なオチのない時間が長く続いてしまうことがしばしば見られました。一見なんでもない、つまらない会話を、それでも愛らしいシーンにするというのは、外から考える以上に計算や役者の足し引きの巧みさが必要であることを思い知らされます。とはいえ、そうしたシーンの滑らかさには欠けるものの、工場の中心的存在で実質主役といえる洋平(おかやまはじめ)やその娘で休職中の順子(三鴨絵里子)らの好感の持てる演技は心地よく、描かれる市井の人々の「なんでもなさ」には親しみを持って観ていられる。


 この芝居の最大のフックは、すでに上演前から各媒体で周知されているように、町工場の中年男性たちがアイドルグループ・ももいろクローバーZ(以下、ももクロ)の曲を踊るというクライマックスです。工場の従業員にももクロ好きが多いというエピソードがストーリー序盤で語られますが、中盤に洋平の旧来の親友であり共に工場を支える勝治(俵木藤汰)も薦められてハマり、軽い療養中の洋平に勝治がももクロのDVDを貸し、という形で伝播してゆきます。これは工場が危機を迎えるまでのくだりに裏テーマとして挿入されてゆくのですが、工場の危機とももクロに従業員がハマってゆくというこの二つが出会ってから、話は説得力を失ってゆくように思いました。


 脚本・演出の鈴木聡自身もインタビューで用いていたももクロ賛辞の言葉である「全力」は、ここしばらくのももクロを称える言葉としてもっとも世に溢れているものかもしれません。素直にいえば、告知のフライヤーに書かれた「ほかのアイドルとは全然ちがうんだよ!」「全力であるってことがどれだけ人を励ますのか、僕はももクロに教わったんだ!」等の言葉には食傷気味でさえあります。

 この点、芝居上で気になったのは、ももクロの魅力を語る「全力」という言葉が繰り返され、それが登場人物に投影されて「自分は今までこれほど全力でやってきたのか?」という問いが次々つきつけられるに至って、そのももクロ賛辞である「全力」という言葉が、意味内容・ニュアンスの見えない空疎な言葉に響いてしまうことです。ももクロが登場するわけではもちろんなく、映像が流れるわけでもない中で、芝居上ももクロが実体の見えない憧憬対象として存在する根拠が、正味「全力」という言葉だけではいかにも弱い。工場の危機からどう立ち直ったらいいだろうかと思案する中で洋平が「だから、全力だよ」とももクロのDVDを観ようと手に取る瞬間、ほかの登場人物はその根拠のなさに呆れますが、ストーリー全体として、「だから、全力だよ」以外のものが提示できているかというと首を傾げざるを得ません。

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 また「中年男性がももクロの曲で踊る」ということまで事前に開示されている以上、クライマックスの絵面のクオリティの上限には大まかな見当はつくわけです。実際、それは予想の範疇を出るものではない。そのこと自体は全然問題ではありませんが、そのライブパートと、主体となるストーリーパートとの接続が弱いように感じられました。ももクロを踊る動機が語られて以降の登場人物の心理、家族がどのような距離感で受け止めているかの描写の弱さなど、必要な手続きはまだたくさんあったのではないか。


「蒲田のライブハウス」でステージに立つ彼らを観に来ている観衆は80名と説明されています。劇内では説明されませんが、決して少ない数ではないその人員は、おそらくは工場の従業員や家族等、関係者なのだろうと想像します。その観客と、ステージ上で「行くぜっ!怪盗少女」を踊る彼らとの温度差の有無や、彼らがももクロを踊ることを家族が支持する理由が示されれば、「中年男性が踊るももクロ」に、単に「中年男性が踊るももクロ」以上の、作品特有の価値が明確に生まれたのではないかと。


 作品の流れとの繋がりが強固にならない彼らのクライマックスのアクトは、端的に「ヲタの振りコピ」になってしまいます。ヲタの余興的なものが楽しくないわけではないし、ヲタ同士で盛り上がることにも価値がある。けれども、「ヲタの振りコピ」がクライマックスで最大の拍手をもらう光景は、あまりすっきりするものではありませんでした。

 市井の人々が他愛なく笑ったりやりとりしたりすることに生じる、ほのかな哀しさとおかしさが武器になる劇団だと思います。その哀感でも小さな希望らしきものでも、中年男性がももクロを踊るということにもっと有機的に絡ませることはできたはず。独立した演劇作品としてももクロを活かしているのを観たかったかなと思います。
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