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甘えなんてお互い様

*月刊「根本宗子」『今、出来る、精一杯。』 下北沢駅前劇場 (2013.3.8)


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 おそらくは根本宗子さんという作家が一貫して保ち続けているのは、人間の「甘さ」「弱さ」あるいは「大人になれなさ」といったものへの繊細な視線です。
 根本さんがこれまでも度々題材にしてきた「弱い」登場人物たちは、環境に甘え、肯定されるべき根拠を持たない自分を受け入れてくれる(ように見えている)他者に甘え、自分が弱いことの「仕方なさ」を理不尽に主張して暴発する。本作もまた、決して当事者にはなりたくないような人物たちが互いの感情の受け止め方に齟齬を孕みながら甘え合い、求め合うことの不格好さが容赦なく描かれる。


 些細なことで仕事に就くことに対する意欲を保てなくなり職を得られずにいる安藤(加藤岳史)を、経済的にも精神的にも優位にいる恋人のはな(早織)は優しく受け止めながら、表向き慈しみ合う恋人関係を保っている。仕事を得られない安藤を甘えさせているはなの身辺にある日生じる重大な喪失をきっかけに、安藤に精神的にさえ頼ることのできないはなの絶望と、はなが求めるものを圧倒的に理解できない安藤が膨らます劣等感と他者不信によって両者の関係は破綻をきたす。
 他方、安藤が一度は働き手として採用されたスーパーでも、その従業員たちという限定されたコミュニティ内での男女のカップリングとそのほころび、なし崩しに持ってしまった性関係にからめとられて状況を打開する策も持てない人々の弱さが連鎖を生じさせている。さらにスーパーに厄介な客として訪れる長谷川(根本宗子)と従業員金子(野田裕貴)の過去に刻まれた傷が、それぞれの形で周囲を巻き込んでいく。


 根本宗子という作家の真骨頂である、社会への適応できなさや認知されなさの原因を外部要因に求める人間のどうしようもない甘さの描写、またその甘さの発露が自分を受け入れてくれる異性に向かう際のみっともなさは、まず職を得るバイタリティを持てない安藤を通じて痛々しく描かれます。中盤、経済的にも精神的にも恋人のはなに頼っていることの後ろ暗さを歪んだかたちで彼女にぶつけながら、同時に彼女に対する、また自分に優しくしてくれるはずの女性たちに対する不信も吐露して、責任の所在をかき回す。相手もまた自分と同じく受容を求めている人間であることに思い至らない安藤がはなに対して向ける言葉は、ことごとくはなが求めているものとは齟齬を起こしている。安藤の抱える屈折と、はなが今まさに経験した喪失との重さの落差によって、その安藤の不格好さはいっそう情けなく残酷に際立つ。

 またスーパーの従業員コミュニティの中でも、突発的な性関係が後を引き、それを断ち切ることができずにいびつな力関係と性交渉を引きずってしまうみっともなさ、それをいかに受け止めるか、拒絶するかといった人物それぞれの対応、それぞれの不完全さが描写される。恋人の目の前で、他の異性に対して明らかな不貞に見える行為を自ら進んで“仕方なく”やりながら、傍らでそれを目の当たりにする恋人に対して「僕は君のことだけが好きなんだ」と必死で弁明する姿は、滑稽さと人間の情けなさが最高潮にあらわれていて中盤のスーパーのパートの白眉となっています。


 働き口の見つけられないことや働く口にありつけそうでも何か外的な言い訳を付けて逃げることでさらに働きづらくなる悪循環、それの鬱屈や劣等感が自分を受け止めてくれる人に対しての幼稚な攻撃性としてあらわれてしまうこと。あるいは一時的に流されてセックスをしてしまった相手と、その後の関係を清算できず性交渉を継続し、恋人に自分の「誠実」さ、置かれてしまった環境の致し方なさを説明しようと繕うさま。こうした人々を前にして、たとえば“メンヘラ”等の言葉で切り捨て、己との無関係を決め込むことは容易です。もっといえば、そうやって面倒臭さをある程度遮断しなければ生きていけないケースだって往々にしてある。
 しかし根本作品において、こうした人々の時に常軌を逸した甘えを容赦なく描く表現は、その弱い人たちを突き放すためになされているのではありません。それらのみっともなさは、観ている我々にとっても、おそらくは作者自身にとっても他人ごとではなく、人間が皆否応なく持ってしまっているものです。

これまでも彼女が鋭敏に表現してきた、うんざりさせられながらも自身を省みてしまうような登場人物たちの見苦しいあがきは、根本作品において強い物語推進力となります。 今作では、そのみっともなさを個別の登場人物のエキセントリックさの水準に留めるのではなく、人間が人間にコミットすることは、そもそもがそういう見苦しい面倒臭さを引き受けること、そしてそれとひきかえに自分も持っている見苦しさを相手に託すかたちで甘えているのだということまでが語られている。以前から根本さんが描き続けてきた人間のどうしようもなさについて、今作はしかしまたその面倒臭さを受け入れていかなければしょうがないということにまで明確に目が向けられているように思います。とはいえ、そう一口に覚悟できるものではないというしんどさも覚えるほどに、人間というものの幼稚さ甘さが容赦なく描かれているのですが。

 月刊「根本宗子」は、人が恋人などに甘える際の具体的な仕草や甘え方を繊細に描き、それが傍から見ていかに気恥ずかしく、時に理不尽であるかを突きつけます。それが根本作品の大きな魅力でもありますが、それを支える役者陣の演技水準も安定していて頼もしい。本作も社会に適応できない恋人を受け入れ、絶望(し、そして最後に再び大きな受容を)するはなを演じた早織さん、コメディパートを引き受けるゆえにリアリティのレベルの変換が難しくもあるはずのスーパーの従業員利根川役の梨木智香さんをはじめ、駒が揃っている。演技のリアリティがやや異なる安藤とはなのアパート場面と、コメディ要素の強いスーパーマーケットのパートとの接続も、全体としては分断されずうまくできていました。
 月刊「根本宗子」がさらなる知名度を獲得する準備は、整いつつあるように思います。
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