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ちょうどいい異形

*音楽劇『三文オペラ』 シアターコクーン (2009.4.15)


「異形の者」であること。
米良美一はまず、そこで勝っているのです。

演出者(宮本亜門)は、米良を単に歌手役として招来しているのではなく、ストレートに「異形の者」として扱っています。これは米良を俳優として活かす上で最良の方法のひとつでしょうし、米良の持っている特異性をフルに用いようとするのは、誠実な姿勢でもあるでしょう。ともあれ、この「異形」としての米良が、異世界への導入役として優れた立ち廻りを演じています。


キャストは皆、顔全体、あるいは一部を白く塗り、現実離れした衣装を纏う者も少なくない。というように、ビジュアルイメージはさほどリアリズムではなく、いくぶん大げさな世界設定となっています。このとき、観る側をその異世界に導入するにあたり、米良という存在は非常に適性が高いといえます。そもそも異形として日常性(といっても我々はテレビ等で接するのだけれど)の中に存在する米良は、この異な舞台と観客(日常性)との橋渡しとして、実に具合の良いところに位置する人物なのです。

米良と同様に、冒頭に登場するデーモン小暮閣下もまた異形のまま日常に溶け込んでいる存在。この二人が歌い、立ち廻るというオープニングは、舞台上の大げさな世界性へ観る側を誘い込む手法として成功しているのではないでしょうか。

デーモン小暮閣下の顔のメイク(っていうか「素顔」っていうか)は我々が普段知っているあの化粧のままなのですが、そうであってもこの異世界では、彼のパーソナリティがきちんと劇中の人物のそれに見えます。この大げさな世界性と食い合わせが非常に良いということもあるのでしょうが、何にも溶け合わないように見えて案外その場に順応してしまう、閣下の器用さなのかもしれません。加えて、さすがベテランのヴォーカリストというべきか、ステージングが巧い。画になるポーズを心得ているのだと思います。


あと、安倍なつみ。まあ、シンガーとしてはプロなわけで歌に関して心許ないなんてことはないわけです。ミュージカルに出た時のソニンみたいな、新鮮な驚きはないけれども。発声も歌声も、ハロプロファンが知っているなっちではなくて劇内に溶け込んでいたし、よくやっているのだと思います。

ただ、この人のモー娘。にいた頃からの特徴なのですが、表情に豊かさが出ないのですよね。硬直した無表情とかいうことではなくて、ごくごく平準な愛嬌らしいものはあって、それは可愛い女子の明るい表情に違いないのだけれど、そこに深さとか陰影が出ないような。
ハロプロ時代は、他のメンバーがシャッフルユニット等の外部活動に借り出される中、モー娘。のマザーシップとしてアイコン化されてしまったので、何をやっても「モー娘。のなっち」という固定的なイメージから脱しにくいという困難があったと思います。この舞台でも課題としては同質のもので、声だけ聞いていればうまくこなしているようなのですが、表情はやはりあの「なっち」でしかない。一応白く塗ってはいるのだけれど、無理に異形界にいるような精一杯感が見えてしまう。表情の深さについては、ハロプロを離れ、年齢を重ねることで解決していけばいいなあ、と。
そのことでいうと、デーモン閣下はどう見てもテレビに登場する時の閣下そのもののメイク(「素顔」)なのに、はっきりと劇中人物になってしまっているのはすごいことなのですね。


主人公メッキ・メッサーを演じる三上博史を見て、ヒース・レジャーの演じたジョーカーを連想する人は少なくないでしょう。ヒース版ジョーカーに似ているというのは、まず単純にメイクや輪郭に負うところが大きいのだけれども、社会規範とされるものから逸脱する者としての立ち方、あるいは「善人」たちの無関心(とそれに付随する偽善性)を指弾しようとする存在、という意味でもジョーカーを連想させる要素はあるのかな。あとは牢屋内でも飄々としている場面とか。
ただし、ジョーカーと違うのは根本的な安っぽさ(もちろん演出者の企図したものです)かもしれません。社会規範から外れた上で明らかに資金力豊富なジョーカーとは異なり、メッキ・メッサーは決して資金繰りのうまいストリートギャングではなさそうだし、恋人とベッドで歌うシーンなどでも安っぽい物悲しさは免れない。それでも、ちゃんとこの主人公が複数の女性に惚れられるに足る人物に見えるのは、三上の巧みさに尽きるでしょう。メッキのトリックスターっぷりを、格好いい逸脱者として演じ切れているので説得力があります。ジョーカーメイクにカラスの羽みたいなマント、総柄のスーツという異な格好でありつつも、それに呑まれるでも浮き上がるでもなく馴染み、その上で自身の存在感の強さを的確に伝えていました。


今回は人物に関して羅列するかたちで書いているわけですが、彼らそれぞれが宮本亜門のつくった異形界の中で自身のキャラクターを充分に提示できたか否か、がポイントになるのかなあ、と。米良やデーモン閣下が魅力的であったのは、用意された場と彼らの平素持ち合わせている異形性との相性が良い、ということが大きいでしょう。三上博史は異形に「なる」ことができる凄さというべきでしょうか。逆になっちはその平準的な可愛さ以外の表情を持ちえずに、面白みが生まれなかったということかもしれません。


ただし、ここでつくられた異形界は、胃にもたれない、具合の良い異形性、とでもいうべきか、ついていくのも疲れるほどの破壊力があるという類のものではありません。どこから手をつけていいかわからないほどの混沌を描くでもなく、またリアリスティックなものに寄りすぎるでもない、ほどほどの異形性が丁度良く、あまり観客を選ばないものになっているのではないかと。


現代日本とのリンクをダイレクトに示すシーンはあまりスマートではなかった気がします。登場人物のひとりが『BIG ISSUE』を売ってみたり、第二幕で安倍なつみが女子高生の制服姿だったりと、現代の我々をとりまく環境との相同性を「今」っぽい記号で提示してみせていましたが、正直、そこまでの直接的な説明はいらないかな、と。「今」っぽい状況とリンクさせているんだ、ということは、本筋の運び方で充分伝わるはずだし、あえてそのような記号をネタにしてしまった結果、なんかダサく見えてしまったかなあ。


あと、ラストのシーンはキャストが簡易的なハローキティの面をつけて踊っていたのだけれど、以前に宮本亜門がサンリオのショーを演出してましたよね。そっちは観たことないのだけれど、あれは演出家のセルフパロディってことでいいんですかね?
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