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それなんて勧進帳?…ってほどでもねえ

*ジェットラグプロデュース『今勧進帳』 サンモールスタジオ (2009.6.3)


演技の安定感の有無というのは、本当に冒頭の些細なやりとりだけで客席に伝わってしまうものだったりします。それ如何で、始まるなり観客のコミットの度合いを著しく下げてしまうこともある。脚本演出の企図をつかむ以前に、役者の力如何で劇全体への目が厳しくなってしまうわけです。とりわけ、俳優の名前や顔だけで客を惹きつけることのできない小劇場では、冒頭の俳優の佇まいがもたらすものは小さくない。

少なくともその点において、この芝居の俳優陣は優秀であるといえるでしょう。大仰にならない抑えた演技ながら声がしっかりと通っていること、またナチュラルな他愛ないやりとりを表現する際、間のとり方が上手いことはきちんと評価されるべきであるかと。そのため、見る側が劇に入っていくのにさして労力を要さないものになっています。それは、あるいは一定のレベル以上のものが求められる場合、当然の技術なのかもしれません。ただ、客席100人規模の小劇場ではその水準に頻繁に出会うわけではないので、ここはやはり強調しておいてよいと思います。


もっとも、9人のキャスト全員がそうした上手さを平均的に持っている、というわけではないのです。終盤に主役になってゆく青年(藤沢大悟)は、固さが抜けきらないし周囲の巧みさに比べると、スキルだけでいえばやや見劣りする感がある(下手じゃないけど)。しかし、それでも彼がウィークポイントにならないのは、それを覆うだけの華をもっているため。彼に限らず、今回のキャスティングについては、華のある役者を揃えられたことがいちばんの勝因かもしれません。


公演を打ったジェットラグというのはプロデュース母体であって劇団ではないようです。そのため、公演ごとに作・演出・俳優をその都度募る。主幹の人物が映画等の製作に関わっているためなのでしょうか、人員の選び方に余裕がある、というか高い水準のキャスト選びができる環境にあるようです(先に名前を出した藤沢氏は前にJUNONスーパーボーイコンテストで賞を獲った人なんだそうな)。


その環境の結果であるのか、役柄に合わせて人員が非常に的確に配置されている。役柄と俳優が無理なく溶け合っているのは各人の技術でもあるでしょうが、適材適所の妙、という方がここでは正しいでしょう。特にヒロインの元恋人で、かつて暴走族だった男(渡航輝)。スーツに白シャツを着て、落ち着いたなりをしながらも、かつてのガラの悪さを感じさせる、細かな表情の作り方が秀逸。ストーリーを最後まで追ってみればそれほど重要な役ではないのですが、見る側を飽きさせない華と存在感をもっています。

チープさは隠せない小劇場であっても、有名人など出演しなくても、キャストの総合力次第で豪華っぽく感じさせることはできる。その好例ではあろうかと思います。


『今勧進帳』がタイトルなのです。で、何が「勧進帳」なのかというと、クライマックスで主人公(前述の藤沢)をかばうバイト先の主人が読んできかせる手紙というのが実は…というその形式をもって歌舞伎の『勧進帳』になぞらえているわけですね。


喫茶店でバイトをしつつ介護福祉士の資格を目指す主人公は、かつて飲酒運転で女性を轢き殺してしまい、今は別の名前を名乗って日々を過ごしている。彼に殺された女性の婚約者は恨みをつのらせ、主人公の恋人を車で轢こうとするなど、主人公に幸せを成就させないための行動に走り、執拗に主人公を追い立てる。ある種の被害者遺族の暴走が描かれています。終盤、喫茶店内でその元婚約者と主人公が対峙、詰め寄る元婚約者に対して喫茶店のマスターが、主人公の家族からの「手紙」を読み聞かせる。


実在しない手紙を「勧進帳」してまでマスターが元婚約者に伝えようとするのは、主人公が肉親と絶縁状態にあり、またその肉親たちも被害者への慰謝料を捻出するために無理な生活を強いられ家庭が崩壊しかかっている、という状況でした。で、だからもう主人公のことをそっとしておいてくれ、ということなのですが、その訴えには少なからぬ違和感を覚えます。

元婚約者の暴走は常軌を逸していて、これを止めなければならないというのはその通りでしょう。ただ、その際の論理として、加害者も親族含めて苦労してるんだから放っておいてやれよというのは、なんというか、いい気なもんだなという感が否めません。あまつさえ、その親族の近況というのは「勧進帳」なのです。つまり、嘘なのです。嘘の訴えをもって、加害者の立場を擁護しようとするのは、これけっこう悪質な欺瞞なんじゃないのかなあ、と。


そもそも主人公の身の回りの人間に危害を加えようとしていた元婚約者ですが、この「勧進帳」の訴えを聞いて意気消沈、喫茶店を後にします。主人公に対して怒りをぶつける道理を持っている元婚約者がそれで簡単に意気消沈するのか、ということもありますが、被害者遺族に対して、同情を引く類の嘘で場をおさめようとしていることがやはり引っかかります。
それまでのドラマ運びが悪いわけではないのに、クライマックスに来て不合理な感情論でなんとなく説得させてしまっている感じが気分よくない。十字架を背負う加害者の煩悶をメインに据え、感情移入させるかたちをとっても、浅薄な感情論に走らない問題提起はできたであろうと思うのですが。


宣伝文句に、

「現在は、実際の武士はいませんし、殺伐とした話ばかりで、「情け」があるのか、という世の中です。江戸の時代、歌舞伎という世界観の中で描かれている「武士の情け」、「人情」、「粋」などを、今の世の中に探していくことで、「今」を浮かび上がらせます。」(シアターガイドHP掲載の宣伝文より)

とありますが、今日の価値観の中に置いてしまえば「武士の~」(こういうフレーズ自体、近年の人々が思い描いた、とてもイマジナリーなものだと思いますが)などというのは、ひどく理不尽な論理だったりします。劇の伝えるメッセージにそういう理不尽さが、はからずも現れているともいえるかと。加えて『勧進帳』の場合、讒言によって兄頼朝の憎悪を買う義経には同情の余地がけっこうあるわけです。
今回の芝居のようなケースを「情け」だなんだというフレーズで評価するのは無理があるような。

本タイトルに据えるほど『勧進帳』との本質的な相似はないのではないでしょうか。空の手紙を読むという形のみが「勧進帳」なわけで、他の形で『勧進帳』という元ネタをほのめかす程度の方がうまくおさまったのではないかなと思います。


並行するもうひとつのエピソード――喫茶店の常連である介護福祉士たちの働く施設が外国人スタッフを「雇用」していると偽り(本当はボランティアで働かせている)、不正に介護報酬を受給していた――は、メインのエピソードよりもよい出来になっています。
不正を隠して続けようとするスタッフ、不正をかぎつけ暴こうとする地方紙の記者、迷いながら記者に不正の証拠をリークするもう一人のスタッフ、それぞれが自分なりの「正義」のために動いていて、かつその「正義」を全うしようとするエゴのために後ろめたさも抱えている。サブストーリーとしてはボリュームも、確信犯的な後味の悪さもちょうどよい。つまり、脚本もいいところまでは行っているのでしょう。

キャストに華があって演技プランも概ね良く、脚本も平均値は低くない。それだけに、クライマックスの説得の仕方に悪質さが垣間見えてしまうのはもったいない。この着地の仕方が、印象を著しく悪くしてしまっています。
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