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~演劇とアイドルと何かと~

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だってアイドル

*七月大歌舞伎 昼の部『義経千本桜』のうち「鳥居前」「吉野山」「川連法眼館」 歌舞伎座
(2008.7.23)


やっぱり歌舞伎座は、客がよく笑ってよく湧いて、それで正しいのです。
演目の性質に合わせて反応を変えてくれまいか、と客席に問うのは無理なのです。客席の反応は変わりようがないから、その反応の性質に沿った演目が出れば、非常におさまりがいい場になるのは道理なわけですね。で、古典歌舞伎にはそのための演目が揃っている。基本的に坂東玉三郎と市川海老蔵、二大アイドルを見せるための三演目、二人のチャームに客が湧いて笑って、しかも演目としてその反応できれいに完結する。先に書いた今月夜の部の泉鏡花ものは、舞台上と客席との間に大きな齟齬があるわけだけれど、一日のうちに生じるその温度差も歌舞伎座っぽいのかもしれない。


さて海老蔵。鳥居前は、意外によくなかったです。荒事だし、未見だけど団十郎がやっても悪くないんじゃないかと思う役柄なのですが、いまひとつしっくりこない。それでも、夜の部の泉鏡花ものをこの間見たばかりなので、それに比べると非常に安心して客席にいられることは確か。静御前を見せて忠信が立ち回って藤太がおどけて、その役柄の期待通りに客席が湧く。予定調和の気持ちよさ。


「川連」の忠信を海老蔵がやるのは、一昨年の新橋で一度見ています。ルックス・風格を存分に活かして、可愛らしさを表現するのにしびれたのだけれど、今回、さらにそれが上達しているのかな。上達、というか、前回よりも表情、台詞回しに可愛らしさを強調して、狐詞(狐が化けた人間、という設定なので口調をキツネっぽく?するのです)も語尾の延ばしが長く、より特徴を強く出しています。簡単に言えばそれは、ケレンが強くなったというふうにも言えるわけですが。それは結果的に両親狐への思慕をリアルに(といっていいのか)むき出しに表現しているようでもあって、ひとつの試行錯誤なのだろうな。

と思ってとある評論家の方の評をチェックしてみたら、そこがダメ、ということが書いてありました。曰く、狐詞は声を延ばすのではなく詰めるのでなくてはいけないと。で、仕草が女性的で気味が悪いと。親への思慕があるとはいいながら、立派な成年の雄狐なんだから、ちょっと解釈を間違っていると。狐詞については義太夫とかを聞き込んだことがないので、判断しがたし。今後勉強ですね。一方の、狐忠信は成年の雄狐である、という読み込みは理解はできます。台本を相当読み込んでいる方の評論なのだから、それは説得力のある解釈なのだろう、とも思います。けれど正直、あの女性的な仕草になった結果のケレンは、アイドル海老蔵の魅力をこの日いちばん客席に伝えていたはずなのです。氏の解釈や意見も、立場上必要な指摘なのであろうことは充分承知してますし、否定するつもりは毛頭ありません(自分にそんな不遜なことをいえる足場はないよ)。でも、海老蔵のキュートさがこの狐で際立ったのならそれは、ある次元での成功といえるんじゃないか、と思いたいんですね。


スターシステム、アイドルステージとしての歌舞伎。いうなれば歌舞伎が長きに渡って継続させてきた特徴はそれである、と考えているので、ケレンで客が湧いたなら、それこそ歌舞伎の「伝統」が保たれているということだと思う。歌舞伎入門みたいな記述でよくある、「歌舞伎役者は近世にはアイドルだった」という常套句にはやっぱり不満があるんです。性質においては今も充分アイドルなんだよ。受け取り手の気取りやらむやみなハイカルチャーイメージやらで、それが見えづらくなってるんでしょうけれども。
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