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明智小五郎、森田健作化のお知らせ

*『京乱噂鉤爪―人間豹の最期―』 国立劇場 (2009.10.22)


もともと昨年の『江戸宵闇妖鉤爪』で原作のストーリーは終えてしまっているので、その続編となる今作はある程度までもう「乱歩」歌舞伎ではないし、原作ストーリー上の制約からは逃れられる一方、「原作がこうだから」というエクスキューズもしにくくなる。言い換えれば、現場キャスト・スタッフのストーリーテリングで勝負する機会である、ともいえるわけです。

江戸川乱歩の原作において人間豹・恩田の生い立ちや詳細などは明かされず、明智小五郎との決着もないまま物語は幕を閉じています。昨年の歌舞伎版第一作では恩田の出自にオリジナルの設定を足すことで、人間豹の鬱屈や行動原理を説明しようとしていました。そのスタート地点は悪くなかったはずなのに成果が芳しくなかったのは、人間豹が理屈を言ってる割に行動が伴ってなかったり、明智の人物造型が薄っぺらかったり、ということが原因であったかと(詳しくは昨年のエントリーを)。
乱歩の原作から離れることになる今作は、京都に犯行の舞台をうつす人間豹に、彼を操ろうとする陰陽師、人間豹を追って京都へ向かう明智、明智が若い頃師事していた人形師一家を巡る話に、陰陽師に騙される公家の恋物語…。それ、「人間豹の最期」ってテーマの話にまとめきれるのか?というほどにオリジナルの要素を足しています。


まとめきれませんでした。

面白そうなとっかかりになる設定をいくつもチラ見せしてはいるのですが、それが効果的に後々まで繋がったりはしないので、ことごとく未消化になっています。
世に動乱を起こしそれに乗じて国を我が物にせんとする陰陽師・鏑木(中村梅玉)に人間豹・恩田乱学(市川染五郎)が操られているらしく、明智小五郎(松本幸四郎)も恩田に向かって「お前は鏑木に操られているのだ」と叫んだりしてその設定を説明するのですが、肝心の「恩田が操られている」ように見える描写がないのです。操られていると指摘された恩田はそれを否定し、自身が繰り返す殺人については自分の意思で「殺したいから殺すのだ」と反駁する。見る限りその恩田の言い分の通りであるようにしか感じられないため、「操られている」という明智の指摘はさしたる根拠もないことを力説しているようにしか見えません。
命を狙われる公家・実次(中村翫雀)も「お前(恩田)も鏑木の一味だな」と叫び、終盤には鏑木自身も、俺が恩田を操ってやるんだ、と言い恩田もそれに応じて再び反論します。それら一連の説明台詞に対応する場面がないため最後まで鏑木と恩田の関係は腑に落ちないままでした。言葉でのみ説明して演劇描写が伴わない、というのは昨年も同様だったため、このカンパニー自体の課題かもしれません。


今作オリジナルの人物パートを膨らませた結果、人間豹の存在を描写する隙間がなくなってしまった、ということもあるのでしょう。オリジナルのキャラクターで随一の存在感を示すのは陰陽師・鏑木です。彼の人物造型も初期設定の段階では面白い。
ピュグマリオン、と言ってしまうのは乱暴でしょうが、簡単にいえば生身の女より人形の方が好き、な男です。江戸川乱歩作品でいうなら『人でなしの恋』です。だから名工の細工した人形を偏愛し、自分が世の天下をとった暁には人形に魂を吹き込んで后にしようと目論む。悪役の設定としてはなかなかに引きがあります。

しかし、やはり偏愛している描写に乏しいのが惜しいところ。あまつさえ、人形に悋気する部下の綾乃とは直接的にセクシャルなシーンがあるのです。しかし綾乃がその行為をもって「人形に勝った」と呟くと鏑木は激怒し、この人形に勝る女などいない、と言い張ります。それなら人形の方とはもっと濃密に体を交わさないと。この設定で、生身の女性とのシーンがいちばんエロくちゃいかんよなあ。この後、結局彼の偏愛っぷりは見ることができないため、最後にその人形が絡んで鏑木が死を遂げるところがそれほど生きてこない。設定はよかったんですがね。


あとはやはり、昨年同様明智小五郎の「正義」が薄っぺらいことが全体に大きく影を落としていますね。前作でも建前的正義を人間豹からバカにされると、「それでも自分は人間の心を信じる」等言い返してさらに建前的な言葉の上塗りをしていましたが、今年も人間豹に「お前にはまだ穢れのない魂が残っているはず」という、思考停止のような説得を試みています。
一方の人間豹ですが、今回は一作目に語っていた能書きを繰り返すこともなく、「殺したいから殺す」という原理のみを口にするため(去年の人物造型を引き継いで描写するほどの尺の余裕がなかったんだと思います)、明智の独りよがりで、気持ちこめて伝えれば何とかなるっしょ!的な浅薄な正義を批評する存在としては効果的になっています。それならばとことん建前的正義に対する皮肉としてこの作品を成立させても面白かったはず。実際途中まではそう受け取ることも不可能ではないんですが、人間豹が華々しく死んだのち、明智に「お前は人間豹のまま死んだのか、それとも人として…」とエモーショナルな調子で言わせているラストシーンからするに、たぶん明智の浅薄さを意図した話ではないでしょう。この明智小五郎は、俳優が損する役回りのように思われるのですが。


ただ人間豹の最期はとても良い、と思います。自分の望む「大空」が現世にないと悟って恩田は、如意ヶ岳(京都の大文字送り火の山です)の火床に火を放ち自殺を遂げる。自らの体を燃やして時期外れの送り火と化すその最期は、『パノラマ島綺譚』のようでもあって乱歩的世界としても優秀。このシーンを終盤に用意できたことで、劇の感触はぐっと良くなります(だからこそその直後の明智の能書きが余計に……)。


あと人間豹自身も死に際して、「この国がどう変わろうと、俺みたいな不幸な奴は、百年、千年先もいなくならない」と、思い出したように前作の屈折を叫んでましたね。今日に繋げたいのであろう前作の社会批評を引っぱるなら、劇の中盤でもそれは描いておかないと。いや、描く意志はあったのかもしれませんが、入れ込めなかったのか。新たなエピソードを盛り過ぎて、前作以来のメインストーリーが薄まっていたように思います。人間豹、影薄かったからなあ。
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