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歌劇団男役・宮澤佐江の成功

*AKB歌劇団『∞・Infinity』(宮澤佐江・柏木由紀ver.) シアターGロッソ (2009.11.7)


いつしか小さな箱庭の外側へもそれなりの訴求力を持つようになったAKB48。コアな支持層にCD多数買いを促すいわゆる「ドーピング」的手法が象徴的に表にあらわれていることから、物量&マスメディアへのゴリ押しのようなスタイルが槍玉に挙げられることも多いのですが、歌モノのアイドルグループが少なからず軽く見られがちな世間にあって、それだけで勢力拡大がうまくいくはずもなく。過去の多人数アイドルグループに比しても、戦略自体の周到さこそ注目すべきでしょう。

メンバー単体でマス媒体に、それも女性層向けメディアに売り込むことで非アイドルヲタの特定層に、まずAKBというトータルイメージよりも当該メンバーの「個」を認知させること(板野友美とか)。あるいはメンバーをテレビ番組等に出演させる際、あえて「AKB48の」という肩書きをテロップに施さないという手法。主要メンバーを必ずしも「AKB48」という属性のみに回収させない見せ方は、対世間ということを考えるとき、箱庭の内のみで先細ってしまわないための戦略として、無効ではないと思います。もっともAKB自体が、各種タレントへのステップの場として設定されてもいるわけで、この戦略は当初より織り込み済みのものなのかもしれませんが。
それから、「多すぎて誰が誰やら……」と揶揄気味に言われがちな、多人数グループゆえの特徴も(まあ、そういうことを言いたがる人は大概クサす対象として話題にしているだけなのですが)、各メンバーが「AKB48」以外のアイデンティティを獲得する上で、今のところプラスにも働いているのではないかと。なにより手駒が多いことで、各媒体に適した人材を登用することができている。
もちろん、現在のAKB48のメインの面白さは「総選挙」「再組閣」に象徴されるプロレス的な展開の巧さであって、それこそ『ASAYAN』のお株を奪う、というところなのですが。


今回の企画『AKB歌劇団』は、それらに比べればきわめて箱庭的な、コア層をターゲットにしたものです。そもそも舞台演劇経験者ではないメンバーたちによって、ごく限られた創作時間で展開される公演はあくまで、アイドルの名前ありきのミュージカルといえるでしょう。

本公演の構成・台本・演出の広井王子について秋元康が「限られた条件の中で最大値のものを生み出す天才」(劇場パンフレットより)と評していますが、まさにこの公演はクオリティ追求に関しては多方面において「限られた」ものになっています。舞台セットは比較的チープでシンプルだし、脚本の作り込みも不足点は大いにある。劇の構成として上出来かといわれたら、首肯できない部分は非常に多い。


けれども、舞台制作に専心できる仕事環境も経験値も持たないアイドルを看板に据える演劇にとっては、この方針は決して間違いではない、と思います。現在の経験値と知名度を前提として彼女たちを映えさせるサイズを考えると、きっとこれでいい。キャパ1000人程度の劇場で全14公演という上演規模も、無理をしない適正規模。AKB48本公演のコンセプトにも似つかわしいものだと思いますし。


高校のダンス部部長の麻里亜(柏木)の夢に、毎晩謎の男性が現れる。ある日の学校からの帰り道、不良に絡まれた麻里亜を、夢に出てきていた男性・村雨ルカ(宮澤)が助ける。彼は250年前から生きるヴァンパイアだといい、かつて彼と結ばれた女性の魂が転生したのが今日の麻里亜であるという。麻里亜は次第にルカに惹かれていくが、ルカの求めるまま二人で永遠の命を手にする(ルカに二度噛まれると永遠の命を得る)ことは、今生きている現世と別世界を生きることになる。現世をとるかルカをとるか、逡巡する麻里亜。そこに、ヴァンパイア・ハンターが現れ、ルカの心臓に銀の釘を刺すことでルカを消滅させんと目論む。


全部で20曲以上歌われる劇中歌も大半はAKBの持ち歌なので、半分演劇、半分はメンバーを限定したAKB公演のような体裁。ただし、それなりにシーンに合わせた曲調、歌詞のナンバーをセレクトしているので、ストーリーと歌パートの乖離は特に感じない。この辺りは広井王子の手際というべきでしょうか。

既視感のあるストーリー展開や演出に驚きはないのですが、少年っぽい凛々しさ溢れる宮澤佐江の男装は舞台全体の核になって、それだけで画をもたせてしまう。存在感に特別重みがあるわけではないけれど、演劇としての規模がチープゆえに彼女のボーイッシュさが丁度良く活かされています。

ダブルキャスト公演でもう一方は秋元才加・高橋みなみペア。画面的に宮澤・柏木ペアの方が気になったのでこちらの上演日を観たわけですが、その期待に違わぬ(期待以上の驚きもないのだけれど)ビジュアルで、アイドルありきの舞台としては、そこが成功すれば及第です。未見の秋元才加版は確実に「男役」としての性質が異なるでしょうが、少年的な宮澤に対し「漢」なイメージの秋元もまた、「歌劇団」の男役としては適役。先に書いた多人数グループゆえの、媒体に適した人材登用のひとつの成功例でしょう。たとえばモーニング娘。×宝塚の舞台公演等に見える、人選の幅の狭さゆえの無理な配役と比べると、ある種の的確さは達成されています。


もちろん、劇の構成としてみれば不徹底なところはすくなくありません。
ダンス部員の歌子が「貧乏」だからアルバイトをして、それを皆に隠しているため、練習をサボって遊んでいると誤解されてしまう、という伏線的エピソードに特に回収はなく、また彼女たちダンス部が目指すラストシーンの「最後の大会」が大した意味を持たないままぼんやり終演してしまったり。主役二人の関係にしても麻里亜がルカに惚れてゆく描写が淡白なのでいつの間にか両思いになっている印象だったり、あるいはルカに惹かれる麻里亜を自分たちの側に引き戻そうと、危険を省みず健闘する部員たちに、そこまで強い友情を裏付ける描写がなかったり、と構成がシンプルな割に(シンプルにしたゆえに、か)、半端にストーリーを広げた箇所が放置されている場面がしばしばあります。

しかし、あくまでクオリティ追求の「限られた」中での作劇、壮大さを目指しても装ってもいないのだから、そこは結果としてさほど害になっていない。手持ちの環境で、はじめから実現可能な規模を目標にする。このディレクションは現在のところ、支持できます。「AKB歌劇団」としてはこれから成熟していけばいいのだから。


9月の亀梨和也『DREAM BOYS』が風呂敷を広げすぎて散漫になり、また帝国劇場で12000円を取って見せていたことに引き比べると、むしろこの簡素さに好感さえ持てるような(『DREAM~』が悪かったという意味では決してないけれど)。ジャニーズの舞台公演とは比較にならないほど簡素だけれど、宮澤あるいは秋元の「歌劇団男役」としての成功、それだけでこのジャンルが維持される価値は十二分にあるかと。
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