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妄想アテレコエンドレスエイト

*シベリア少女鉄道スピリッツ『キミ☆コレ~ワン・サイド・ラバーズ・トリビュート』 新宿タイニイアリス (2010.1.8&12)


シベリア少女鉄道が帰ってきました。

前半に展開されるドラマが壮大なネタ振りになっていて、最後の数十分にまったく位相の違う視点をそのドラマに被せてネタ的な笑いだけで疾走し、それまでのシリアスな道筋を心地よいまでに無意味なものにしてしまう。上演が終わる頃にはそのバカバカしさと、それを裏支えする緻密な構成に唸る、と。シベ少の魅力を端的に表せばそのようなことになると思います。


前半のドラマそれ自体も一定の尺があるので、興味を持続させるつくりにしなければならず、つまりネタ振りとはいえそこでのストーリーテリングもおざなりにはできないし、その中で後半の笑いに向けてネタの種をふんだんに蒔いておかねばならない。水準の高いバカバカしさだけのために、頭のよい人が全力で捻り出した良品が、毎度毎度提供されています。
もとよりこのような脳を使い倒した作品を短期間に次々生み出せようはずもなく、また演劇のカテゴリーに居るとはいえ「戯曲」として評価される類のものでもなければ、諸事情からソフト化も相当に難しい。シベ少のここ数年の沈黙に近い停滞は、さびしく思いつつも仕方がないのかな、とも。それゆえまず素直に復活が嬉しい。


とある漫画家の仕事場。3人のアシスタントたちと女子大学生のアルバイト、疲弊しつつアイデアを捻る漫画家に編集者の計6人が、場を共有する者同士の緩やかな連帯感を持ちつつ、それぞれの作業をこなしている。他愛ないやりとりのうち、アルバイトの子がアシスタントのひとりに淡い恋心を抱いているような独白がナレーションで入ります。片思いの日常風景。

暗転後、日常風景の続き。アルバイトの子の心情を語るナレーションが増える。日常風景の続きであったかと思いきや、途中からさっき見たのと同じ冒頭のシークエンスが繰り返される。つまり時間軸が冒頭に戻ります。ああ、そういう時間編成で見せているのか。
しかしその日常風景に妙な違和が差し込まれます。一回目のシークエンスよりもアルバイトの子のナレーションが増え、また一方では舞台奥のモニターが点き、彼らのやりとりを切り取った写真が時折表示される。この時点では意味はわからない。けれど映像・スクリーン使いに長けたシベ少の特徴が現れ出す、これは同時に後半への畳み掛けの合図です。

再度の暗転後、先ほどまで見ていた日常のシークエンスがまたも繰り返される。3回目。そしてナレーション。
「気がつけば、いつも君ばかり見ていた」
違う。このナレーションはさっきまでの子ではなく、女性アシスタントの椎名だ。彼女の見つめる先には、アルバイトの子。「なんであの人はいつも、自分のことじゃないのにびくびくしているんだろう。」編集者が電話で部下に怒鳴る。「山岡ー!」。びくっとするアルバイト。途端に場内に流れ出す音楽!中村由真の『Dang Dang 気になる』!『美味しんぼ』だ!椎名はアルバイトの行動に逐一、山岡(美味しんぼの主人公)のアテレコを始める。
と、今度はその椎名を見つめる、編集者・兼田のナレーションが。
「気がつけば、いつも君ばかり見ていた」
あのしきりに耳の脇の髪をかき上げる仕草。スポットは椎名の挙止動作に向けられる。そういえば椎名は冒頭から、髪をしきりに、だけどさりげなくかき上げていた。流れ出す音楽。『贈る言葉』!つまりあれは金八先生!
先ほどまでに二度繰り返されていた動作、言動ひとつひとつに、兼田のナレーションが金八的なフレーズを被せてゆく。一度目のシークエンスではなにげない日常風景であった一連の流れが、実は妄想アテレコのために無数の種が仕込まれたものだったことに気付く。同様に、登場人物のそれぞれが特定の誰かのこと「ばかり」見つめ、古畑やらドラえもんやらをアテレコしてゆく。


一回目には漫画家の仕事場のそれぞれでしかなかったものに、各キャラクターがアテレコされていって、それでもシークエンスは一回目と一切変わっていない。さらには舞台奥のモニターにとある名作アニメが映し出され、二回目のシークエンスで映されていた写真群ともリンク、妄想アテレコにさらにもう一層加わる。観る側の処理能力を追い越してネタを詰め込み、ぶつ切りのように唐突に終演していました。


メタ的ななんとか、みたいな枠組みを持ち出して解釈してみせることも大いにできそうなのだけれど、シベリア少女鉄道ほどそうやって「論じる」ことが無粋に思える劇団もないのではないでしょうか。
やってることって毎回、言ってみればすごくメディアアート的なのではないかと思うし、土屋亮一(作・演出)の頭の良さと緻密さは感嘆ものなのだけれど、その緻密さの目的地が清々しいほどのバカバカしさだから、最後に生じた笑いに身を委ねるほかないのではないかと。土屋亮一は充分な批評性を持った作家なのでしょうが、「批評性」なんて言葉で表現する端から、もう無粋。


今回は上演規模が小さいのと、終盤は元ネタを観客が記憶しているか否かが重要になるので(毎回そういうとこは多いけどさ)、つくりとしてはより内向きのものかも知れません。今回、一度観劇後、大ネタとして用いられている名作アニメをDVDで観直したうえで、後日もう一回劇場に足を運んだのですが、それでもラストは非常に唐突にぶちっと切れた感じでしたし。その意味で、2006年上演の『残酷な神が支配する』はとても綺麗な作品だったな。いずれにせよ、今回も絶対にソフト化して一般流通させるのは不可能。立ち会っておくべき。
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