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団地の下の異界

*Project Nyx『《美女劇》伯爵令嬢小鷹狩掬子の七つの大罪』 芝居砦満天星 (2010.4.16)


寺山修司を知らない世代が彼の演劇を体感することが難しいのは、「新劇」という言葉が強い意味を持っていた時代を実感しようがないから、ということもあるわけですが(1月にも書きましたが)、それ以上にやっぱり、戯曲レベルでは感知しようのないインパクトがあまりに多かった(ように思われる)からです。彼の魅力だけは語り継がれるし、写真等の断片情報はそのごく一部を垣間見せてはくれる。それだけに、後の人間にとっては掴みがたいものだったりして。


とはいえ金守珍演出の本作は、寺山のインパクトのなにがしかを、確実に伝えてくれるものであったのではないかと思います。少なくとも、寺山の特異性を想像するための、手掛かりの一端を与えてもらえるような仕上がりなのではないでしょうか。作り手が寺山原作に託しているものを、きちんと現出できているということなのかな、と。


寺山の原作と今日の我々とを綺麗に橋渡ししてくれたのは、まずなにより劇の要所要所で演奏する黒色すみれのパフォーマンスです。他の演劇に出演していた際にも感じたのですが、この方々は劇の世界観に己を当てはめつつ、しかもマニアックになり過ぎないように外部にも届かせるのが実に達者。客演として理想的な存在だと思います。彼女たちが導入役となったおかげもあって、観る側としても一気に乗ってゆけました。


貴族邸で留守番を任された女中つぐみが、一人きりの部屋で雇い主たちの悪口を吐きつつ、おめかしをしてその家の令嬢のように振る舞い空想に遊んでいる。実はその空想的振る舞いの一部始終は雇い主である貴族一家の女性たちに見られていた。嘲笑する女性たち。うろたえるつぐみ。
と、ここまでの一連の流れはすべて、女中に妄想癖があることを知っている伯爵令嬢たちの演じる「女中ごっこ」だった。本当の女中である「もう一人のつぐみ」は猿ぐつわをされ縄で縛られた状態で令嬢たちに弄ばれながら、その寸劇(つまり己の妄想癖)を見せつけられていた。


日常的なリアルとは大きく違う設定、演技で展開してゆく話だからこそ、演出も宇野亜喜良による美術もよく映える。登場人物たちのドレスアップされた服装や、端々に異様さ・過剰さを感じさせる持ち物、それに大時計からあらわれる妄想のキャラクターたち等の要素は、特有の異空間作りに大きな役割を果たしています。

しかしまた、忘れてならないのは役者陣の演技が確かであるということです。作り込みの強い演技法があっても、視覚的なインパクトがちりばめられた演出が活きていても、演じ手に安定感がなければストーリーを展開させていく上ではつらい。基礎的な舞台演技力の豊かさを持つこともまた、「肉体の強さ」を提示するひとつのすべなのです。


貴族邸とは別次元のシーンであらわれる少女の娼婦・便所のマリアは人形で表現されます。マリアの「赤い花」、マリアの話し相手として登場する金髪のジェニー(中山ラビ)の妙に大きな存在感など、このエピソードは全体としてとてもいい。抑制のきいた便所のマリアパートと、装飾された多色な貴族邸パートとのちょうどいいコントラストの内に、便所のマリアと女中つぐみが重なる。


混沌とした要素も強いはずの舞台なのですが、黒色すみれが流れをつくる良いアシストをしていることもあってテンポがよく、また視覚的にも意外にまとまりをもっています。混沌としているようで、各要素を配置するための計算はしっかり成功している。ラストシーン、舞台床に水があふれ、背景に昇った月が水面に映り込んで輝き、月下では貴族邸の登場人物たちが楽しげに「花いちもんめ」を遊ぶ。隙のない締め括り方がさらに後味のキレを良くしてくれます。


座席は100席規模。このレベルの高さはもっと多くの人々に届けるべき、と思うのですが、公演の場となったこの芝居砦満天星という作り込まれた空間でこそ、本作の「異形」性もトータルの完成度も最高潮に達するわけなのです。住宅街の地下には、完全なる異界がありました。
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