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怠けてても、怒られない

*パルコ・プロデュース公演『裏切りの街』 PARCO劇場 (2010.5.12)

恋人等と一緒にいる理由として、「この人といると“お互いを高め合える”から」「尊敬できるから」というのを、たまに耳にすることがあるのですけれども。もちろん、それで互いが充足できるなら何ら問題はないわけなのですが、異性との関係が続くっていうのは、そういう「ポジティブ」な、きれいな話ばかりではないわけで。

ということを丁寧に見せてくれるのが本作『裏切りの街』。ストーリーとしては登場人物がことごとく浮気をしている、不倫をしているという話。とはいっても、不倫を単なる人間関係の泥沼として描いたりとか、あるいは「不倫相手との関係こそ美しい」みたいな短絡した価値観に落とし込むことに、作・演出の三浦大輔の興味はありません。
彼が見つめているのは、その関係がだらだら引き続いていく中に垣間見える、目の前の状況に「向き合わないこと」「逃げ続けること」です。


専業主婦の智子(秋山菜津子)と、恋人と同棲している(ほぼ)ニートの裕一(田中圭)は、それぞれに夫、彼女を持ちながら、ツーショットダイヤルを介して知り合い、体の関係を続ける。性欲に流されて、ではあるものの、他ならぬこの相手同士で関係を繋ぎ続けることに対して、強い熱情みたいなものがあるわけではありません。その関係をはっきりさせる、ということをなんとなく避ける。だから、関係を絶つ、という「向き合わなければならない」シチュエーションに身を置くこともしません。なんとなく会ってセックスする関係は続く。


彼らはひたすら、「対峙する」という面倒臭さを避けている。
裕一にとって、そうした面倒臭さとは、たとえば休みがちなバイト先に連絡をとること、恋人・里美(安藤サクラ)が自分を思ってくれる気持ちに正面から応えること、それに智子との関係をはっきりしたものにすること。智子にとっての面倒臭い案件は、親切に接してくれる夫とのズレを直接話し合って解消すること、自分の社会的なポジションを定めてしまってそれを受け入れること。でもそれぞれに、そういう面倒臭さに強く抗うわけではない。なんとなく、先送りにする。


その二人が繋がり続けているさまをあらわすのが、裕一の「怠けてても、怒られないっていうか」という言葉。たとえば「“お互い高め合える”」みたいな志向って、もちろん立派ではあるのだけれど、自分を律する意思が強くないと言えないことでもあったりします。「ダメ人間っすよね」と言い合う二人にとって、「ダメ」が自分だけではない状況に浸かっていられる場所が、ここではお互いなのです。ダメ人間と言い合ってはいても、その自分の「ダメ」に対峙するということも先送りにして逃げているわけで(それが「ダメ」のあらわれともいえる)、いつしかその逃げ場としての逢瀬になっている。その逢瀬が自分に必要である、と強く考えるような意味での「対峙」もしないわけですが。


 三浦大輔は「怠けて逃げてばかりいると、罰が下るって思われがち」だけど、時間に任せていればそれなりに帳尻が合ったりもするし、「怠けても時間は過ぎていって、なんとなく人は生きていく」と語っています。怠けること、向き合わないことに対して、何か意見するような価値観はそこにはない。単なる楽観とも違うと思いますが、逃げ続けた先に何があるのか、ということを、結論を急ぐでもなく考えようとしています。その視線の優しさ、というか「怠けること」を平熱で捉える感覚は好ましく思いました。


 智子の夫・浩二(松尾スズキ)、裕一の恋人・里美(安藤サクラ)はそれぞれ、智子、裕一のことを思いやる相方として登場します。優しいことは間違いなく、当人たちにも相手を思いやっている自覚がありながら、相手の温度をうまく掴みきれずに、智子や裕一がその好意に乗り切れない、というズレがうまく描けています。智子も裕一も、相手のそれが善意であるということも手伝って、その噛み合わせの悪さについて相手と話し合うこともできないまま、溝が静かに広がってゆく。

 とはいえ、浩二も里美も、ただのズレた善意の人として登場するわけではなくて、終盤には、ずっとしたたかで恐ろしい存在として浮かび上がってきます。恐ろしいとはいえ、彼らの姿は人間の単純じゃなさをしっかり見せてもくれる。


 智子や裕一のように浮気を続けることが、イコール当人のしたたかさをしめすことにはまったくならない。それに、このように恋人や妻を「裏切る」ことがイコール、当人にとって相手に対する全面否定などでは一切ない。変わらず「愛している」わけだし、心が離れているわけでもない。そういう、本当は当たり前のことが、「普通の」善意の人に見える浩二・里美の姿を通して強く突きつけられる。サブキャラクターである彼らの存在こそが『裏切りの街』に深みを与えます。


 松尾スズキ演じる浩二の静かに恐ろしい決定打によって、智子と裕一は切実な選択を迫られる。迫られるはず。しかし、そこで自覚的に選択し道を定める、というような正統なビルドゥングスロマンがそこにあるわけではない。傍から見ればどう考えても一大選択を迫られているのに、やはり対峙できなかった姿がそこにあります(智子の方にとってはとりわけ重大な決定なので、彼女がそのままああいう結果に流される、ということには違和、というかちょっと留保しておきたいところもありますが)。


 最後まで状況に「対峙できない」二人。セックスなしにただ会っていても、特に話が合うわけでもない。それでもぬるい空気を共有できるからなんとなく繋がってみる。お互いのことを探り合いつつ、ぬるい時間を延長しようとする二人の姿、それを厳しい目で見るわけではなく、過度に擁護するでもなく描く三浦の視線は心地よく感じられました。
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