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みたことないけど懐かしい

*ロロ『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校』 新宿眼科画廊 (2010.10.22)

2010_10_22_roro_1

会場は、画廊の小さなスペースでした。
どこだって演劇はできるわけですが、使用する空間の特性を自分たちのものにしてしまえば、狭苦しかろうと観客の座りにくい場所だろうと、必然性を持ってその場所を選んだ(のかどうかわかりませんが)ように腑に落ちてしまいます。その意味で、上演する会場もまた当然、舞台効果の一部なわけです。


画廊の奥には、小学校の教室がありました。
女子たちが男子のことを喋り合い、友人に協力してもらいつつ好きな女の子にアプローチを試みる男の子がいて、卒業式予行演習の合唱歌が遠くに聞こえ、ちょっと距離の遠い女の子がミステリアスに見えたりもして、小学生にとってはまだ大きな存在の先生がもっともらしいことを言ったりする。その自由度が高い喧騒の中に、子どもたちそれぞれの小さなドラマがあるのですが、そんな小さいドラマを背負った子たちも角度が変われば、また別のドラマにとっては背景でありモブであります。
そして、ろくに座席さえ並べられないこの画廊スペースにあるのは、舞台と客席ではありません。彼らにほど近い距離感でそのやりとりを見つめる観客もまた、同じ教室内にいるモブ同級生です。習字、時間割表、音楽家の肖像。チープな、それこそ一見学芸会のようなチープなセットさえ、というよりチープだからこそ、小学校気分を高めてくれる。同じ教室の中で彼らを眺め、彼らと同じタイミングで小学校生活の終わり頃をノスタルジックに追体験する。

2010_10_22_roro_2

実のところ、ノスタルジーの喚起に必要なのは、実際に体験したような出来事、という意味でのリアリズムではありません。ロロは誰もが持っていそうなありふれた小学校時代の郷愁をうまく作り込んでいて、それがこの作品の何よりの魅力なのですが、実際には誰の記憶にもあるわけのない展開の連続だったりする。転校生の女子がいくらミステリアスだからといって、尻から家の鍵を生んだりしないし電気仕掛けのペット兼彼氏を飼ったりしない。好きな男子に告白する女子も、相手に台本を手渡してその筋書き通りに進行する相手参加型ロールプレイ告白なんてことやるわけはない。
それでもそのすべてがギャグとして単発に終わることなく切なさを生んでいるし、それらが向かう場所はまごうことなく郷愁です。壁に貼られた小道具も、唱歌が「卒業写真」であることもチープ、各シーンはエキセントリック、そんな手札を使いながらも詰め込まれている切なさとか、恋愛って言葉の一歩手前の感情とか、何かが終わるぼんやりとした予感とか、それらはやっぱりノスタルジーなのです。


役者陣のうまさと軽やかさが本当に素晴らしい。「若者」っぽい重みのない言葉のやりとりや佇まいで演じられる「小学生」はもちろんのこと小学生的な年齢を模する演技ではないけれど(そしてそんな模倣は演劇に全然必須ではないけれど)、演者たちが20歳代であることの記号もまた過剰に押し出されないような、清潔で悪ノリに流れないバランスの良さがあります。だから、彼らが小学生を演じているという状況がはじめからすんなり飲み込めるし、観ているこちらもまた、その小学校の中で傍観する同級生のような感覚に素直に入り込める。こういう押し引きの見極めができるというのは、劇全体にとって本当に大切。統一的なひとつのメインストーリーで推進するタイプの芝居ではないゆえに、この平衡感覚がなかったならば観続けるのはしんどくなるはず。若さが過剰さに直結しない、ロロの軽快さと丁寧さは見ていて心地よかったです。

上演するハコを含めた基本設定の選び方、芝居をリードする物語を書きこむよりも、懐かしさとか切なさとかを呼び起こすための「場」の構築を主に置くようなスタンス、そしてそれを狭い空間の中で押しつけがましくなく提示するバランス。強烈さとか濃密さとかいうのとは違ったスタイルで、ライブで芝居に浸ることの特異性を優しく示してもらうような体験でした。
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