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圧倒的なフィクション

*柿喰う客『愉快犯』 東京芸術劇場小ホール2 (2011.1.8)


 個人的な好みでいえば、台詞を大げさなトーンで叫び続ける芝居というのがあまり得意ではありません。
 これはつかこうへい作品をいくつか観た時に自覚したことなのですが、その劇自体の良さを評価することとはまた別の次元で(もちろん繋がってはいるからまったく分断できるものではないけれども)、そういった発話法がしっくりこなかったのです。
 かえりみて分析するならば、劇中でその叫び続けるようなトーンを採用することの意義や効果が見出せるか、自分がその意義に共鳴できるか(共鳴までいかずとも理解できるか)ということがポイントだったかと思います。つまりは、なんでその発声法でやってるのかわからない、ということであったかと。

2011_1_8_kakikuukyaku_01


 劇団「柿喰う客」の作・演出である中屋敷法仁は、これと真逆の感想を持っていたといいます。口語体の“ナチュラル”な演技の芝居が多い状況に、「普通の感じでだらだら喋ってて何が面白いんだ?」「大きく演技した方が面白いじゃないか」と(※上演後アフタートークより)。たとえば非日常的な演技法、発声法に対する懐疑やアンチテーゼが、そもそもそうした口語体には含まれていたはずですが、そういうものも感じられずただ口語体でやっているように見える、そのことへの違和感があったとのこと。

 そこでたどり着いた演出法が中屋敷のいうところの「圧倒的なフィクション」。叫び続け、発話のイントネーションを歪ませ、また時に囃すような歌うようなトーンの発声は、確かにどうしようもなくフィクションです。「本当っぽいものや嘘っぽいものではなく、やるなら思い切り嘘、思い切り虚構として舞台を作る方が面白い」という主宰の意図がはっきりあらわれている。
 このパフォーマンスが秀逸なのは、ただ叫んで表現する、という点にのみ留まって満足していないこと。大げさな発声も、あるときは礼儀正しい重厚さをもって、あるときはチャラい軽さをもってなされる。オーバーな発話法が決して一様でなく、多くの層を重ねることで叫び続けていても明確な抑揚がつくのでダレることがありません。
 
そしてまた、その飽きのこなさを支えているのが、秀逸でレンジの広い語彙のセンス。オリジナルの言い回しのみならず、この芝居の台詞には引用が多い。ネット的スラングやジャーゴン、五所川原ねぷた祭りの囃し言葉、果ては今井メロのラップまで。それがまた、ネットスラングに偏ったりローカルな空気に偏ったりすることなくジャンルを軽やかにクロスオーバーさせて遊んでいるから、内輪受け的な閉じた感じもない。各ジャンル、界の言葉の間を跳梁してゆく言語的刺激がハイスピードで通り抜けてゆく痛快な感覚。このオーバーな発声法はさらに、緩急のリズムをもって音楽的にも訴えかける。「圧倒的なフィクション」でこそ表現しうる、もはや「声の芸能」と言っていいスタイルが確立されています。


 音声表現と同等に「圧倒的なフィクション」の構成要素になっているのが、役者たちの身体技法。鈍い角度の円錐形になった舞台の上を飛び跳ね、寝転がり、ポーズを決める。頻繁に叫ぶような台詞を吐きだしながらそうした動きを余裕でこなしてしまう役者たちのアスリートっぷりもすさまじい。常に跳躍しながら、次々とテンションや発話のトーンが変化する台詞を早口でまくし立てても言っている内容が明瞭にわかるということが、キャスト陣の役者としての基礎体力を物語ります。


 代々の財産を拠り所に働かずとも裕福な暮らしを続ける琴吹一家に降りかかる「最悪の不幸」。クリスマスイブに長女が変死、夫は娘の死後一週間とは思えぬ健やかな佇まい、妻は不倫と思しき連夜の外出、長男の大学受験や祖母の病も重なる不穏な状況下。長女死亡の捜査を続ける女性警察官からは他殺の可能性を示唆され、その警察官と妻との間にもただならぬ緊張が垣間見える。代々“ストレスに弱い”琴吹家の人々はこの異常事態のなかで精神的圧迫に苛まれる。


 「圧倒的なフィクション」という手法の面白さだけで充分に上演時間の80分を埋め尽くしてしまえるし、言葉と身体による笑わせどころも多い芝居であるため、状況だけ書き起こせば深刻であるような設定もさして悲劇性を持たず進行してゆきます。
 そうかといって油断していると、女性警察官と琴吹家の妻とのやりとりが進むうち、琴吹妻がある理不尽な方法によって警察官の弱みを握っていることが明らかになる場で、シリアスさのレベルが急に変化する。警察官は狼狽しながら琴吹妻の異常性を訴えるのですが、このシーンに限っては警察官は妙なイントネーションや独得のオーバーな話法を用いることなく、言ってみればオーソドックスに狼狽している。一方の琴吹妻は変わらず躁型の表情を浮かべそれまで通りのスタイルの演技で居るのですが、その瞬間だけは警察官との対比でその演技法のエキセントリックさが急激に際立ち、異様な影を落とす。テンションの高い大げさなトーンをただ続けるのではなく、そこからの引き算で不穏な空気を作ることにも成功している。叫びまわりながらもテンションの足し引きがうまいしタイトな構成になっているので、いい意味でスタイリッシュささえ感じました。

 (あと、ここまで書いてくると、自分が大げさなトーンで叫び続ける芝居を好きじゃなかったのは、つまりは自分がかつて観た芝居における「大げさ」が抑揚に乏しい一本調子で、「大げさのための大げさ」に見えていたので退屈に感じていたのだなと整理できました。柿喰う客の採用するオーバーな発話法は、それを用いる意味が明白です。この独得な身体と声の芸能は、他のやり方ではできない)。


 センスもあるし勉強もしてるんだろうなと思わせる劇団代表・中屋敷の佇まい、彼に応えて深い抽斗をみせる役者陣。若さゆえの勢いとファンダメンタルを持っているゆえの余裕が同居していて、信頼できる劇団であるなあと。安易な口語体演劇に不満を持ち、「圧倒的なフィクション」を標榜する彼らの温度とビジョンが、高い完成度をもって伝わる本作。かっこよすぎる。
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