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ドキュメンタリーをドラマする

*映画『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued
     10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』 TOHOシネマズ日劇 (2011.2.1)


2011_2_1_documentary_of_AKB48_1

 現状のAKB48の特徴のひとつとして、AKBに関心の薄い人々からのみならず、アイドルファンからも批判や揶揄を被りやすい、ということがあります。かつて稲増龍夫氏が著書『アイドル工学』のなかで、たとえば「同じ「売れる」音楽でも、ロックは受け手側からの自然発生的な支持が「売れる」音楽を生んでいるのに対し、アイドルは送り手側の商業主義的仕掛けが「売れる」音楽を生んでいるという」ような対比をあてはめられがちであることについて指摘していました。これは社会学者としての稲増氏の考察であると同時に、アイドルファンとしての氏の、ひとつの擁護のあらわれでもあったでしょう。しかし今日、AKBに関していえばその「商業主義的」姿勢を、当のアイドルファンたちからも叩かれやすい状況にあるといえます。

 ここ1~2年の知名度、支持の上昇という時流にのって、地上波テレビ、雑誌、書籍といったマスメディアにおける露出は飛躍的に(過剰なほどに)拡大し、他のアイドルグループとは次元の異なるプロジェクトになっていることは確かです。そうした露出度の高さは、「業界」間に特有の駆け引きの結果である(と想像させる)わけですし、その力関係や物量作戦、あるいはもはや安易なクリシェとなった「AKB商法」的要素は、アイドル全般に関して擁護的な視点を持ちやすいアイドルファンからも否定的に受け止められることが少なくない。その意味で、先述の稲増氏の言のうちの「アイドル」という単語は現在、「AKB」というワードに置き換わっている感もあります。


 とはいえ、そうした揶揄的視線に埋もれないのがAKB48の強靭さでもあります。そもそもただの物量作戦のみで繋ぎとめられるほど、観客は受動的で無批判な存在ではありえません。“再組閣”“総選挙”“じゃんけん選抜”に象徴的な、受け手の興味を持続させるための周到な「事件」作り・文脈作りは、少なからず過去のアイドルに対してなされてきたプロデュースを取り入れつつ確実にアップデートしたものです。そうした文脈がAKBを運営する首脳のディレクションによるものであるのは当然ですし、受け手もそこに無自覚ではない。かといってそこで発生するドラマは当事者すべてにとって予定調和な行事ではなく、活動主体であるアイドルたちは行く先の知れないストーリーに翻弄されるよりありません。このことが生身の彼女たちに苛酷な負担を課しているという事実を一方で忘れるべきではありませんが、これがAKBの大きな求心力として働いていることもまた間違いないわけで。
 さらにAKBというプロジェクトの巧妙さは、たとえばメンバーにスキャンダルが浮上した際に、それを封殺するでも否定するでもなく、その疑惑自体について即座に自己言及し、文脈の中に組み込み、AKBの物語の一部としてしまうところにあらわれます。プロデューサーの秋元康が「AKB自体がドキュメント」と表現するように、悪評も不測の事態も飲み込んで露悪的なほどにそれをドキュメンタリーとして提示(≒ネタ化)してしまうところに、AKBというプロジェクトの求心力はあります(加えて、個人的にはAKBが有するスタイリッシュさも若年層に訴えるポイントとして重要だと考えますが、論点が散漫になるのでここでは省略)。

 そのAKB48の提供する「ドキュメンタリー」映画とあれば、期待値は低くありません。事前に予告編的にテレビ放送されていたAKBのドキュメンタリー番組では、チームKのリーダーであった秋元才加のスキャンダル発覚に関する生放送での釈明、謝罪、リーダー辞任発表までを映像で見せ、上述したAKBの真骨頂を垣間見せていました。それを受けての本篇公開、舞台挨拶ではAKB48本体のリーダー格・高橋みなみが「AKBを嫌いな人にも観てほしい」と述べています。「事件」作りへの期待は高まります。

2011_2_1_documentary_of_AKB48_2

 結論からいうと、そこに「事件」性もわかりやすい露悪性もありませんでした。なるほど、「再組閣」や「総選挙」などの“波乱”は踏まえられ、その中で逡巡し、また自身の位置取りを冷静に受け止める彼女たちの姿は存分に描かれている。「彼女たち自身の言葉」のようなものも、この映画には溢れている。にも拘わらず、なにか肩透かしのようなものを感じました。
 あるメンバーは、自分がトップになることはないという認識を踏まえて、それでもその中で生き残る場所を見つけようとする自己を冷静に語る。あるメンバーは活動拠点の東京の喧騒を離れて地元に戻り、旧知の人々と再会して「素」の姿を見せる。まごうことなき生の彼女たちの身体があり、言葉がある。それでも、素直にそういうものとして受け取り難い違和感が拭えない。


 ドキュメンタリーで「素」を垣間見せるというのは、普段のアウトプットの中ではパッケージングされていない、「製品」から漏れた部分をあえて見せる、ということでもあります。この映画に感じる違和感のもとにあるのは、そもそも普段のAKBとしてのアウトプットの中ですでにそういう裏側を、それこそ露悪的に見せていることからくるものでもあるでしょう。
 たとえばテレビ東京系『週刊AKB』においては、“不人気”メンバーの“不人気っぷり”を率直に見せ、ファンとの握手会で可視化されてしまう人気格差を前に当該メンバーが明らかに傷つき、そのことに対してうまい言葉も見つからずただ動揺する様子を晒してみせます。それはエンターテインメントとしてパッケージングされているとはいえ、すべてのメンバーが同じようにサバイブできるわけがないという事実を暗示するものでもあって、秋元康のいう「AKB自体がドキュメント」はまさにこのように日常的に提供されている。そうである以上、この映画の中に見えるような「ただの“素”の姿」には目新しさはない。というより、却ってドキュメンタリー性を薄めているようにも思われました。


 ドキュメンタリー性の希薄さは、この映画を通しての撮り方にもあらわれます。構成として特徴的なのは、映像の割合として、活動に密着してのドキュメントよりも、この企画のためにあえてセッティングしたインタビュー等が使用されている時間の方が長いということです。普段の活動の合間にこぼれた声や表情を拾うのではなく、場を整えたカジュアルな個別面談の連続は妙にきれいで、ドキュメンタリーと謳っていながらむしろ虚構性が強く感じられさえする。


 虚構性の強さはたとえばメンバーたちが談笑するシーンにも顕著です。冒頭、メンバーが食事をとりながら談笑している場面。いかにも他愛のない、日常を切り取ったような会話。ではあるのですが、撮り方は明らかに「ドラマ」です。カメラは彼女たちが座るお店のテーブルの周りを旋回しながら、おそらくはレールを用いたドリー撮影によって順々に彼女たちの姿を捉えている。また、メンバーが次にとるポーズを明確に把握していないと押さえられないカットも挿入される。つまりこれは、ドキュメンタリータッチの場面をあえて構築したドラマ、のようなシーンです。


 この彼女たちの、自分の言葉で語っているには違いないが、想定以上の何か、セッティングされたもの以上の何かが垣間見えることの少ない状況は終盤まで続きます。インタビューされるメンバーの順番や人選にかすかなストーリーらしきものも見えてはきますが、既定の線路からこぼれおちる何かは見出しにくい。彼女たちを応援するファン目線でみれば堪能できるものではあると思いますが、ファンではなくAKBについての知識の少ない人間が急に観て強いインパクトを残せるか、というところには多少の疑問符が付きます(「ファン向け」を裏付けるように、この映画は非常に説明不足です。再組閣、旧チーム千秋楽、総選挙、ひまわり組といったトピックが説明なしに画面にあらわれ、またインタビュー中に言及されるメンバーのフルネームと顔を一致させてみせるような注釈にも欠けています)。


 普段のAKBに比してドキュメンタリー性の希薄なこの「ドキュメンタリー映画」はあたかも、「アーティストの素顔を垣間見せるドキュメンタリーってこういう感じのことやって感動させるんでしょ?」という悪意をもってパロディ的につくられているかのようでもありました。いや、通常ならばそこまで穿った見方はしないと思うのですが、普段あそこまで秀逸且つ露悪的、また残酷なドキュメンタリーを「AKB48」というプロジェクトの総体を通して見せ続けている首脳がここまで、いってしまえば踏み込みのないドキュメンタリーをつくると思えないのです。


 ことわっておきますが、アイドル好き・AKB好きとして、単純に彼女たちの躍動する姿、生の身体を堪能できる映像ではあります。楽しいです。しかし一方で、たとえば渡辺麻友がインタビューの区切りでひと休みしながら背伸びして見せる姿はいかにも「素を垣間見せるアイドル像を教科書通りに演じている」かのようで(そもそも彼女はそういう個性の人ではありますが)、妙な座り心地をずっと感じるものでもあったのです。きわめてきれいに整えた映画を前にそう感じてしまう、ということ自体がすでに秋元康・AKB首脳の術中なのだ、と思うといささか悔しくもありますが。
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コメント

これもまた…

はじめまして

大変面白く読ませていただきました

一言言わせてもらえるなば
激しく同感します…です

この映画はあまり深くAKBを理解していない監督の思い入れが
少々強く出すぎた感がありますね…

おっしゃるように昨年のAKBを
語る上では
欠かせないエピソードが
沢山欠落しています。

この映画の予告編で使われていたシーンなど
1シーンも出てきませんからね

あの常連が大量に外れた
じゃんけん大会でさえ
監督の興味がなかった…
というだけでカットですからね

この作品自体は否定もしないし
良くできているとは
思いますが
それがゆえに
2010年の活動を追ったドキュメンタリーと言う
謳い文句だけは
やめた方が良かったと思います。

長文失礼いたしました。

  • 2011/02/09(水) 18:48:53 |
  • URL |
  • AKBびぎなぁ~ #-
  • [ 編集 ]

AKBびぎなぁ~さんへ

コメントありがとうございます。

インタビューの方が映像素材として
監督自身の思い入れが強かったのかもしれませんね。

それは無理からぬことですし、
インタビュー素材にも魅力的な瞬間は多々あるのですが、結果として、
仰るように2010年のドキュメンタリーという表現は
やや似つかわしくないバランスのものになっているかなと。

普段のAKB総体の方が
「ドキュメンタリー」性は強いため
そこで比較すると食い足りないところはどうしてもありますねー。

  • 2011/02/09(水) 20:53:10 |
  • URL |
  • t_katsuki #eP1cGWnA
  • [ 編集 ]

同じスタッフがかかわったらしい、NHKで1月上旬に放送した「1ミリ先の未来」の方がドキュメンタリー性が高かったですね。秋元才加のゴシップに触れたり。ここまでやるのか、と驚きました。

  • 2011/02/19(土) 01:21:38 |
  • URL |
  • す #-
  • [ 編集 ]

す さんへ

コメントありがとうございます。

あの放送は面白かったです。
NHK版ががそのようなつくりだったため、
自分自身、映画に対してもその方向に期待値が上がってしまったところはありました。

その意味でのドキュメンタリー性を求めて映画をみると
すこし食い足りないものが残りますね。
作品の出来が悪いわけじゃないんですけれども。

  • 2011/02/19(土) 10:00:04 |
  • URL |
  • t_katsuki #-
  • [ 編集 ]

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