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~演劇とアイドルと何かと~

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もっとアイドルを

*『GIRLS PRISON OPERA』 中野テアトルBONBON (2011.4.1)


 このブログでは時折、アイドルが出演する演劇に触れています。
 昨年ならばBerryz工房主演の『三億円少女』や安倍なつみ主演『安倍内閣』、あるいはその前年のAKB歌劇団『∞・Infinity』、亀梨和也『DREAM BOYS』等々。アイドルがメインキャストを張る舞台といってもその立ち位置やアプローチはまちまちなのですが、上記した例はさしあたり、メインキャストの本業(歌ものアイドル)の知名度を活かし、端からアイドルたちありきで企画が進められ、また芝居の性質としても「アイドルありき」が表立って明示されるものと言っていいでしょう。それらは比較的キャパシティの大きな商業演劇用の劇場で興行が打たれることが多く、アイドルの舞台といった時に想像されやすいものでもあります。

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 しかしまた一方で、アイドルが主要キャストとして配役されながらもそのことが表面上第一義的な売りとはされず、作・演出者のコンセプト主導の体裁を持った演劇もまた少なくありません。そうした芝居ではしばしば、上演告知のフライヤーでも特定のアイドルを強調せず、あくまで演劇としてのコンセプトが前面に出されます(フライヤー表面には出演アイドルの写真さえ載らないことも多い)。この点で先の段落で触れた類の演劇とはタイプを異にします。

 収容100~200人ほどの小劇場で行われることの多いそうした種類の演劇はしかし、出演するアイドルを他のキャストに比べて幾分特権的な位置には据えていて、動員のための核にしている様子がうかがえます。演劇の興行を打ちたい側にとっては手堅い動員と華を見込むための招聘であり、アイドル及びアイドルの事務所側にとっては「アイドル」期以降のためのキャリアアップ戦略として、演技歴が乏しくてもキャスティングを実現させうる規模の作品に参加させてもらい、経験と「経歴」を積む。芸能事務所にとって“金”になりづらい仕事であろう小劇場公演へのアイドル派遣は、そのような両者の意図が交錯するものではないかと推測します。


 率直に言ってしまえばこの種類の演劇の場合、主演するアイドルの知名度あるいは演技力に頼った宣伝で一点突破できるかどうかは難しいところ。それはアイドリング!!!、AKB48、SKE48というマスに訴えうる各アイドルグループからメンバーが招聘された今作でも、百数十席×10公演のキャパが即完売にはならなかったことからもうかがえます。少なからぬファンにとって、彼女たちの小劇場での演劇活動は是が非でも馳せ参ずるような「現場」ではないのです。
 そうした中でアイドルを第一義的に打ち出す、つまり当該アイドルに興味のない演劇ファンを排除しかねない宣伝の方針は、プロデュース側の今後の発展を考えても好ましくないはず。また、こうした公演にはしばしばアイドル、もしくはアイドル的ポジションで人気を得ているタレントが複数配役されるため、その各演者のファンを呼び込むためには一人のアイドルに重点を集中させない方が良いということも考えられます。作・演出のコンセプトを第一義に据えるということが当初からの方針であるのかもしれませんが、アイドルをどこまで表立って打ち出すかのバランスのとり方は簡単ではなさそうです。

 いずれにしても主要キャストを芝居経験の少ないアイドルが務める以上、演者の巧みさによって劇全体のレベルを高水準のものに持ってゆくという方向性は容易でなく、手堅い演劇として受容されるためには物足りなさが大きく残ります。また、演者の個が没してしまうほどの特異な演出、上演法がとられているわけでもない。それならば演者をどのように活かすか。それは舞台上における「アイドル性」の強調だと思うのです。

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 女子少年院「のぞみ女子学園」の園長・福田(森田亜紀)は、施設内の少女たちに活力を与えるため、彼女たち自身にオペラを上演させるプランを発案し、甥でヴィジュアル系バンドのヴォーカルをしている直樹(加藤慶祐)に彼女たちの音楽講師になるよう依頼する。バンドが契約の危機にある直樹は、オペラの知識は皆無だが再起のためのレコーディング費用目当てに依頼を受け、同様にオペラなどまるで知らない女子少年院の少女たちと、二週間後に控えた学園祭に向けて練習をしてゆく。


 女子少年院に入っている少女たちの生育環境、バンドのヴォーカルをしている直樹の名声への誘惑とやりたいこと・やるべきこととの間の逡巡、そしてオペラ上演に反対するのぞみ女子学園副院長・乱鳥と少女たちとの確執を軸に話は展開します。女子少年院というモチーフを扱い、彼女たちが抱える屈折を描いてはいるものの全体的に掘り下げ方はシンプルで、このテーマを扱うことの難しさやわりきれなさを掘り下げるというよりは、比較的わかりやすい感動へと導くつくりになっています。

 ならばテーマ性に関しては「それ相応」の水準で受け止めることしかできないわけで、それを芝居のいちばんのポイントとして押すのはちょっと弱い。そこでこの座組みにおいて芝居の魅力を最大限に押し出すならば、キャストのアイドル性は重要事項だと思うのです。

 男性キャストの華は一方の主役であるヴォーカリスト・直樹役、加藤慶祐です。長身でルックスの良い彼の立ち居振る舞いはやはり目を引きます。名声をとるか「やるべきこと」をとるかで逡巡するさまを表現しえていたかといえば大いに不十分で、感情のうつろう様子は見ていてもわかりづらかったのですが、落ち着いて構える演技は安定感(≠巧みさ)があり、劇の見栄えを支えていました。

 一方、女性キャストには加藤よりもマスメディア露出の多いアイドルグループのメンバーが複数出演しています。女性キャストの主役にアイドリング!!!の森田涼花、その脇を固める女子少年院の仲間としてAKB48の野中美郷、SDN48の畠山智妃。グループとしてはAKB48のプロジェクトが群を抜いていますが、個々のネームバリューからすれば森田の主役ポジションは妥当でしょう。

 核になる森田涼花は総体的には演技が巧いというわけではありません。中心的な位置づけこそ与えられていますが、彼女がいるだけで目を惹くというものでもない。ただ一点、終盤に涙をためながら独白する場面の彼女の表情は強い吸引力を発していました。それまでの演技や物語の粗を一旦保留にして陶酔させる強さがある。アイドルの力はここにあるなと思いました。考えてみれば、文脈を保留にして瞬間の情感に酔う、というのはたとえば歌舞伎を見ていればごく普通にあることですしそれを理屈としては理解してもいたつもりですが、アイドルが専門でない舞台に立つ際に生じる瞬間的陶酔を目の当たりにするとまた別種の感慨があります。

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 しかし、そこに持ってゆくまでの展開には、もうひとつ乗れないところもまた多かったと思います。女子少年院の少女たちのトラウマは劇中で次々説明されますが、そのトラウマゆえに○○のような屈折を抱えている、というところまでが充分に描かれているように見えず、悪く言えばただのエピソード紹介にもなりがち。それらの克服を含んだクライマックスのオペラ上演へというようには受けとれませんでした。即席の音楽講師となった直樹と少女たちと関係が割合すぐに理解し合う良好なものになっており、オペラを作品として成立させるための格闘はさほど描かれない。講師も生徒もド素人であるという設定が活きていないように思います。もっともこれは、オペラ上演に反対する副学園長との対立を主眼に据えたためでしょう。この取捨選択により、ドラマはシンプルな対立構造とその克服に力点が置かれることになりました。専業俳優でない演者が多い以上、致し方ない判断かもしれません。副学園長・乱鳥を演じた重松隆志の重量感がこのエピソード、そして劇全体を支えていた感がありました。


 もう少し細かいところとしては、直樹のバンドの相方・光弘(有馬拓人)との信頼関係がほとんど他人による説明台詞ばかりで描写されていて実体が見えづらいこと、また商業主義の権化的に描かれる事務所社長がセルアウトのために企画したのが「ヴィジュアル系バンドを切り捨ててヘビメタバンドをデビューさせる」という、ちょっと現実的に考えにくいアイデアであること(セルアウトしたいと思うならチョイスはヴィジュアル系の方だと思います)、そもそも少年院で上演されるあの作品に「オペラ」の名を冠し続ける理由がよくわからないこと等々ありますが、こうした諸々の粗は緻密さで埋めるよりも、アイドルの華を見せることで覆ってしまう方が即効力はあるかもしれません。そのために衣装やヘアメイク等をもっと、アイドルとしての華を見せるようなスタイリングにしたものも見てみたいなと。女子少年院という設定上、普段着のジャージもオペラ上演時の全体的なスタイリングも地味でサイズも野暮ったいものでしたが、舞台上に興味を向け続けるためにはそうしたリアリティを無視してしまうような嘘は有効ではないかと。それこそラストは思い切りアイドルのステージとしてつくっていい。


 このジャンルはアイドルを主要キャストに据えた演劇のうちでも、宣伝、舞台演出の両面でバランス配分が特に困難なものであろうと思います。しかし、どうせなら舞台上だけでもアイドル性を強く押し出すことをまず丁寧に考えてみてはどうでしょう。アイドル性による瞬間的な陶酔で作品の粗を覆ってしまえるという利点もありますが、またアイドル性の確保がそのまま作・演出者の作家性を後方に追いやってしまうことにはならないと思うのです。
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