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“この世で一番幸せな”

*月刊「根本宗子」第5号『この世で一番幸せな家族』 タイニイアリス (2011.12.18)


 根本宗子という作家が描き続けているのは、人間の克服しがたい「甘さ」「“大人”になれなさ」なのかもしれません。
 今回と同じく新宿タイニイアリスで上演された前々作『根拠のない余裕』では、己の凡庸さから目をそむけ才能を信じ込もうとする作家志望男性と、その男性の恋人で自身が「平凡」であることにコンプレックスを持ち彼氏の卓越性を確信しようとする女性との共依存、それにもう一組、DVというかたちで互いを引きあうカップルを主軸に物語を展開し、また前作『最低の本音』では恋人に対して対極の姿勢にありながらいずれも的外れで無神経な男性二人を描き出していました。
 そこで提示される人間の甘さや幼さは、その筆致が繊細であるだけに観る者を苛立たせ、また身につまされるような心持ちにさせます。本作『この世で一番幸せな家族』もまた、登場する人物がことごとくそうした役割を担っています。

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 地方の狭いコミュニティで、新興の医院に押され流行らない町医者をしている健一(野中隆光)はとある薬品の開発・販売によって周辺住民に「人殺し」と罵倒され、医院に勤める看護師・森本(高野ゆらこ)も日々、糾弾に対して手を焼いている。その医院に、健一の学生時代の同窓生で東京に出ていた目城(山田伊久磨)が20年ぶりに訪問してくる。目城の目的はかつて恋慕し、今は健一の妻になっている依子(新谷真弓)に会うこと。しかし依子は健一に構われない憂さなどから万引き常習犯になっており、目城を落胆させる。他方、健一と依子の娘・真里亜(根本宗子)はこの家庭、この町から出ていきたいと願い、東京から来た目城にその期待をかける。目城もまた、初対面の真里亜にかつての依子の面影を見る。


 この芝居は、健一の長男・真理央(野田裕貴)が自室で、スカイプを通じて女性と会話している場面から始まります。互いに相手のスタンスを探りながらオブラートに包んだ好意を見せつつ、姑息な速度で性的な距離を詰めようとする、その下心の情けなさがいきなり手際よく描かれていて導入として優秀。根本の得意なタッチが冒頭から発揮されています。

 妹である真里亜の同級生と交際している真理央の、彼女と向き合わない(けどきまぐれにセックスは要求する)だらだらとした感じも、わかりやすい露悪でないだけに腑に落ち、それに小さく不満を抱きながらも好意的に解釈しようとする恋人(滝沢佑果)の描き方も軽やかで、それぞれに悲壮感のないダメさがよくあらわれています。


 また、万引き常習犯の依子が抱える鬱屈の根は、単に夫に構われないということではありません。それはかつて自分がおかれていた位置からすれば、将来はこんな小さなものではなかったはずという不満の蓄積。その不満が特定され得ない他者への責任転嫁としてあらわれ、依子は己で自分の人生を行動的にも精神的にも制御しようとしないまま、幼さを持て余して日々を送っている。この依子の描き方は演者の良さとも相俟って登場人物の中でも秀逸の出来です。

 その“幼さ”のわりに(あるいは“幼さ”ゆえに)、配偶者ではない人間との感情の伴わないセックスにだけ慣れた依子を目の当たりにして、かつて依子に憧れていた目城は落胆し怒りをぶちまけます。しかしこの怒りはまた、依子の幼さ以上に理不尽なもの。卒業以来、会うことはなくなっても依子の幻影を膨らまし続けてきた目城の内には、自分にとって理想的な、虚構の「依子」が形成されている。その像を破壊させられた目城が当の依子本人に対して放つ、「僕の中の三井さん(依子のこと)を汚さないで!」という叫びは本作のうちでも随一の最低さ加減。幾分、類型化が過ぎる台詞のようにも感じましたが、ここに至るまでの人物描写の鮮やかさが優っているのでいたたまれなさの方を強く感じることができます。根本宗子という人の大きな武器は、人物の言動の細かなニュアンス描写でしょう。熟練の、というよりはセンスの鋭敏さという方が合っていると思いますが、こうした繊細さは飽きさせないうえでなかなかに重要なことです。

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 これまでの月刊「根本宗子」作品は、その人物描写のセンスの良さが推進力になっているものの、登場人物たちの抱えた状況がどう終盤に展開されていくのか、というところで終わってしまっていたような印象もありました。しかし幾分上演時間も長い本作品では、「その先」が描かれている。

 それぞれに弱さ幼さを露呈する登場人物の中で、もっとも落ち着きを保っていた一家の主・健一の豹変から、物語はトーンを変えて「その先」へ加速し始めます。人工妊娠中絶を請け負い、また他方、その中絶に関連して倫理的には問題のある手法で避妊薬を製造し利益を上げている健一は、最愛の人間が望まない妊娠をしたこと、また相手男性がそれについて妊娠中絶の機会をつくってやったのだと言い放ったことで常軌を逸し、明らかにバランスを欠いてゆきます。そして一連の問題の原因を妻・子のスポイルに求め、強引な家族の再構築を始める。「この世で一番幸せな家族」を目指して、極端な規律を含んだロールモデル的家庭像を妻や子供たちに当てはめてゆきます。


 ここでの家族の巻き込まれ方、そしてその帰結は、どう解釈するか、反応のわかれそうなところだと思います。芝居の速度を変化させて強引に畳み掛ける面白さに身を委ねられる一方、この場面に入ってからはそれまで微細に描写されていた、登場人物の反応は簡潔になり、従前の行動にひきかえ、ここでは単に状況に呑まれてしまっているように見える(あと細かいところでは、親子の年齢設定も近すぎるように思います)。高揚する面白さとちょっと立ち止まって整理したい落ち着かなさの同居する終盤は、まだどう捉えていいかわからなくもあります。


 しかし、ともかくも確実に非凡なセンスをもった根本宗子という作家が、着実に描ける世界の幅を広げているのを見ることはとても楽しい。以前の「月刊」作品より長くなっていても、上述のような人物描写の秀逸さがあるから長く感じることもありません。これまで自分の観た限りでは根本作品の最高点ですし、一年後、二年後の姿を早く見てみたい。とはいえ現時点でも、もっと多くの人の目に触れてほしい作家です。
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